初めてアルバイトをしたのは、20歳を越えてからでした。


姉の伝で、姉の会社にアルバイトに行ったのですが

はじめての事で、色々不安で半泣きで行った事を

覚えています。


その後お茶のお稽古に伺う事になるのですが

それも普通の人は数回で飲み込める事が一人出来ません。

一人ゆっくりペースで進み、数年後に紹介した友人にも

すぐ抜かされてしまうので、不器用で情けないな~

って思っていました。


実生活でこんな具合に、何をしてみてもなんともとろいです

特に初めての事は、1回ぐらい聞いてもまったく頭に入りません。

こういう事も、コンプレックスの元になるものですが、


最近思うのですが、そりゃスタートダッシュが効くターボエンジンの方が

早く進むだろうけど、ジーゼルエンジンには早く行かない分

馬力が有ったりするから、それも個性の一つだと思えるんですよね。


皆色々な個性で出来ています。

色々な個性が有って、

それが社会の中で役立つ部分が何かあったりして

上手い事役割分担をしています。



”友人に葉っぱのフレディー”

http://fan.naist.jp/~fujiwara/frames/happa-j.html


と言う詩を教えてもらいました。


人の一生、

生や死や生きるという事

働くという事、


人(葉っぱだけど)は社会という大きな幹の中で

そうとはしらずに自分の為に生きていると思っているけど

実は自分が行なう色々の行為は、

木という社会を支えている

大切な一員だったりするのです。


葉っぱは役目を終えると、新しい葉っぱに変わっていくけど

それは自分そのものではないけど

自分と同じで、知らずに木を支える仲間なのです。


「まだ経験したことがないことは こわいと思うものだ。

でも考えてごらん。

世界は変化しつづけているんだ。

変化しないものは ひとつもないんだよ。

春が来て夏になり秋になる。

葉っぱは緑から紅葉して散る。
変化するって自然なことなんだ。

きみは春が夏になるとき こわかったかい? 

緑から紅葉するとき こわくなかったろう? 

ぼくたちも変化しつづけているんだ。
死ぬというのも 変わることの一つなのだよ。」


フレディーのお友達のダニエルは秋になって
役目を終えていくフレディーに死について一生の意味を
こう答えんます。


「ぼくらは 春から冬までの 

ほんとうによく働いたし よく遊んだね。

まわりには月や太陽や星がいた。
雨や風もいた。

人間に木かげを作ったり 秋には鮮や
かに紅葉してみんなの目を楽しませたりもしたよね。
それはどんなに 楽しかったことだろう。
それはどんなに 幸せだったことだろう。」


生きている事を精一杯堪能することが
生きるという事だと教えてくれます。


葉っぱは短い人生を終えるけど
受け継がれていくいのちのバトンはずっと長い
時間を存在します。


さらにその木だっていつかは朽ちるだろうけど
それもまた変化するだけで無くなるわけでは無く
想いはめぐり、めぐり引き継がれて
それとは解らなくなっても、
やっぱり想いは歴史であったり、文化であったり

同じ顔をした子孫であったりそんな風に

変化して引きつかれていきます。


想いは風に乗って、

遠く遠く届いていくのです。