以前何かの雑誌で、
ヤンソン由美子さん(女性解放の志士)
がお母様の事を書かれていました。


お母様は自己主張をを極端になさらない、
明治のつましい女性だったようです。


ヤンソンさんが、そのお母様に何が欲しい?
何処に行きたい?と聞くのですが
”何処でも、何でも良いよ”と欲しいものやことを
現さなかったそうです。


その態度に、ヤンソンさんは激怒します。
なぜ自分のしたい事、欲しい事をきちんと主張しないのか?
どうして事の選択を他人に委ねるのか?
耐えるばかりの人生なのか?


男女同等の権利、
と不当な差別を嫌うヤンソンさんならではなのですが、


私にはお母様の気持ちも解り可愛そうになります。

お母様にとって、どこかに行く事や形あるものは
どうでも良いものだったと思うのです。
だから何でも良いのです。
お母様の欲しいものは娘と過ごす、
暖かな時間だったはずです。


お母様は自己を主張せずとも、相手の主張を聞き
受け止めることで、相手の心を和ませ
尊敬される人物であるような気がします。

それを損な人生と思うのはお母様に対して悲しいことです。


ヤンソンさんは、そのお母様の欲しいものを
自分の主張のため奪ってしまったのかも知れません。


女性も社会進出をして、


同等に働き出すと、我知らずおごりが出て
自分の意見を押し通して、夫婦間の溝を自ら招く場合が
有るように思えます。


ワンマン女房になって結局男性側がしていた差別を
女性がする様になっているのです。


相手の望む本当の気持ちを推し量る
それが男であっても女であっても

深く心を交流させる為のすべの一つかもしれません。

思いやる気持ちが大切なんですよね。