以前自分のブログで”冷えと愛の記事から考えた事”で愛され受身の効用を
書きましたが、どうもなにか物足りない気分がしましたので、今回は惚れた方が幸せなんじゃないかと言う事を考えてみたいと思います。
お名前を出して、例にあげるのは失礼なのですが
http://daydreamergatto.blog68.fc2.com/
こちらのブログのgattoさんの記事を拝見していると、何か具体的にべたべたしていると書いている
わけでは無いのにgattoさんの旦那さんへのあふれる想い、
愛情がとても伝わってくるのです。
もしかしたら旦那さん重いよ~なんて感じられちゃうかも、なんてつまらぬ
心配しちゃうほど惚れていていられて、旦那さんもその愛情に答えている良い関係だな、って
思っちゃいます。
沢山困難も有って、こんなことのんきに書くことはほんとに失礼なのですが
これだけの愛情を注げて人生を歩めるのは、やはり幸せなかただな~ってうらやましいです。
幸せの量が多いから落ち込みは深く、でもそれはそれまでの人生が深く真面目なものだったからで
そんな真摯な気持ちを持てる相手にめぐり合い自分の思いを貫くのは、幸せな事だって思います。
幸せは物的に満たされる事では無く、心が満たされる事こそ大事な事ですからね。。。。
”愛の嵐”
というイタリア映画があります。
ナチス占領下の倒錯した人間関係でもてあそばれた少女が、戦争後別の男性と金銭的に幸せな家庭をもっていたのに、このナチスの残党と再会する事で、なぜかナチスとの破滅的な恋愛に身を
捧げてしまうのです。
名声ある男性との生活は、表面上は満たされていた生活かもしれないけれど
そこに生きていると感じられる証が感じられなかったのかも知れないのかな?
ナチスの残党とのつかの間の生活、物質的にも満ち足りたものでは無いし追われる生活は
ストレス以外の何ものでもない穏やかならざる毎日、
・・・・・・であるにもかかわらず
彼女は生きている実感を感じられ、満たされていたのですよね。
愛無くして、生きられない人間も居るのでしょう。
人生は長く生きることに意味があるのではなく、どれだけ濃く生きているかと自分自身が
感じる事が幸せに生きたということなのかも知れませんね。。。。