世の中出る杭に厳しいものです。


特に日本ではファッションの許容範囲が狭く、特殊な服装は
奇異に見られがちです。
行った事は有りませんが、ファッションのコラムなど拝見していると
ニューヨークあたりではどんなファッションでも、割と無関心だと書かれています。


多様な民族に有ればファッションも多様化して当然だから
色々な価値観を許容していかなければやっていられないからなのでしょうか。


無関心、と言うのは実は異なる文化を受け入れて批判しない
習慣から来た方便なのかと納得しますね。

日本では、批判を恐れ年令が上がるほど保守的になり
周りにもそれを無意識に強要しているところが有るように感じます。


その価値観から離れすぎた背のび、遊び、少しの古さをこっぴどく嫌います。

ところで見る人をいらいらさせるのはどういう人かな?


たとえばバブルをそのまんま継続してなお自信満々(に見える人)
往年の魅力を引きずり固執する人
さして美しくないのに自己顕示する人、
 

エレガントじゃない、
センスが無い、って
見ていると殺意さえ感じる人も居そうですね。。。。。
これは同性で年令が近いほどそんなイライラを感じる人は多いように
思います。(私の心の中にも有ります)


なぜか?


それは自分よりいけていないのに、でしゃばっているという見えない
差別意識があるから、本当なら自分のほうがちやほやされて良いのに
自分は習慣に従い耐えているのにって言う逆恨みのような深層心理?


そんな気持ちが在るのじゃないかと考えてしまいました。


自分が変だと思ったら、
ほんとは見なかったことにしちゃえば良いんです。


自分が自由でありたいと自分の価値観を認めて欲しい願うなら
人の自由も認める気持ちが大事だと思います。


とは言え面白い格好は、面白いので仕方ないところもあるんですがね・・・・
この好奇心と差別の兼ね合いが微妙に難しいです。