なぜ?先生を目指したの 2回目

私は この先生をメンター(心の志)と呼んでいる。橋内良枝先生は 東京タワーの近くの神谷町という場所にて音楽指導をされていました。


私がこの先生と出逢ったのは大学生 当時声楽指導頂いた先生がこどもたちの発表会に声楽の生徒を合同参加形式で出演させていたから。


自分の出演時間以外に沢山の子どもたちの発表をみて驚いた。ピアノの発表だけじゃなく・・

楽典(音楽のルール)を替え唄で沢山歌ったり、木琴で即興の合奏をしたり、驚いた。

声楽の先生に橋内先生の連絡先を訪ね、自分でレッスンをお願いした。そこでアシスタントとして伴奏をしながら指導法を学ぶ提案を頂いた。 これがリトミック・オルフ・コダーイ音楽との接点です。


先生は指揮者大友直人さんの幼少期のピアノの先生でもあります。現在の都立芸高の前身都立駒場高校の音楽教員で、当時は尚美コンセルバトワール専門学校の講師でした。


私がカワイ楽器講師になり連絡をとったら急逝した直後で慰霊音楽会に伺ったら座席の前に大友さんが座っていらっしゃいました。

この日のパンフレットの裏に 先生が音楽指導者として書き遺したことがありました。


1、いつでも何にも興味をもって これでいいと思った時が一番危険

  指導者はいつでもハングリー精神で

2、出来ない生徒も長い目を持って・・・

3、音楽の専門科を育てるのではなく、音楽を通して良き人間を世の中に送り出す


他にもいろいろありましたが 今 先生をした原点を振り返りこの先生と出逢い指導者の経験ができ、またヤンチャだった生徒さん、おてんばだった生徒さんたちが、国内外の著名な大学に入り、音楽をそれぞれの環境で楽しんでいるのを保護者から伺うとことの言葉がとても深く心に染みます。


わざとふざけて足やお尻でピアノを弾こうとして私に叱られたM君はニューヨーク大学生でモデル

自分でピアノピースを買ってキーボードで楽しんでいるとか

音楽教室のレッスンの30分 でんぐり返しが出来ないと悔しがってピアノを弾かずにずっとでんぐり帰りを廊下でやっていたFちゃん東大医学部大学院生 最後の5分だけピアノ弾いていたな~


亡き師匠の出された沢山の教本は出版会社倒産の為、手に入れることが出来ませんが、手元にあるその資料で教えるとたちまちに子供たちの理解が深まり身につくことが今でも驚きです。


よく「あなたは21世紀の先生を育てる架け橋よ、今まで私が経験してきたことを凝縮して伝えるからしっかり受け取ってね」と言っていました。いつのまにか21世紀になっていました。


私はどれだけ志から受け継いだ事を伝えられているだろうか?

こんな先生になりたい!その原点の2人目の先生でした。