昨日ブログでノートを書いているといつも同じ言葉に辿り着く、ということを書きました
私は”やったのに”
昨日のブログを今朝読み返してみて、
何だか上滑りしている感じがしてすとんとしない感じがしました
今朝いつものように1000の質問ノートを書いていて
”心に残った言葉は?”という質問を答えようとした時、
相田みつをさんのある詩が思い浮かびました!
「うん」
つらかったろうなあ
くるしかったろうなあ
うん
うん
だれにもわかって
もらえずになあ
どんなにか
つらかったろう
うん うん
泣くにも泣けず
つらかったろう
くるしかったろう
うん
うん
確か私が中学三年生の受験の年に入院した時期があって、その時にどなたかからもらったポストカードで知った詩。
そういえば!!と思いポストカードを入れている文房具置き場を見たら、
今もまだ持っていました!!(笑)
もらった当時、この詩を読んで
私の気持ち分かってもらえた~と涙が止まらなかったんです
その後暫くしてこのポストカードを見ても、「昔もらったやつだ」位で心が物凄く揺れ動くことが無くなり、
でも何となく捨てれなくて、今も持っていました。
今日ポストカードを見つけ、久しぶりにこの詩を読んで、
また涙が出てきました
私の心の奥底には中学三年のその時から
ずっとじゃないかもしれないけど長い間、
苦しい、誰か気付いてという気持ちがあったんだ。
もしかしたらずっとあったけど氣付かないようにして、忙しさに心の蓋をして、他人の反応で認められた感を得た氣になって、仕事をして私がやったことで得られる達成感や愚痴を言うことでうやむやにしてただけだったのかもしれません
この氣持ちを見て、初めはノートに
”氣待ちに氣付いた。ここをケアすること、もう大丈夫だよ、側に私がいるよ、居場所はあるよっていうことを私求めていた"
って書きました。
でも何だか違う。
"氣待ちに氣付いた。ここをケアすること、もう大丈夫だよ、側に私がいるよ、居場所はあるよっていうことを私求めていた"
その私を今はただ感じるだけでいい。
こっちだ!
悲しい時、泣きたい時、その悲しさや涙をもう大丈夫だよって言葉で分かったかのように片付けられる、止められる、そうじゃなくて、
ただその感情を感じる、感じているうちに氣が付いたら過ぎていく、通り過ぎていったらあの氣持ちどこかに行ってたっていう感じ、
そっちの方が今の私にはしっくりくる。
無理にもう大丈夫ってしなくていいんだ!
ありがとう。
ノートのお陰で自分に優しくなれた♡
ただ寄り添って欲しかったんだ。
そう書いた時、
お腹の底がフワっと温かくなりました
それに
「全て喜び」
魂はこんな私を眺めてる
そう思ったらクスッと笑えました
今日も今日とてノートに書く📝
個体担当で思考優位になりがち。
そんな時はいったんペンを置いて眺めてみる。
私は今日も1日自由です❤️
この言葉を口に出してみる
藤本さきこさんの設定変更手帳に書いてある言葉がとても響く
これは去年の12月のクリスマスの週のページに書かれていた言葉。
相田みつをさんのポストカード
今日もどんな1日なるのかワクワク
素敵な午後をお過ごし下さい