オーストラリアに移住してきてびっくりしたことの1つが

世間体を気にする人がほぼいないことだ。

 

移住したばっかりの頃の私は、

体の大きな年齢のいった女性がビキニでビーチを歩き、

海水浴をしていたことでさえびっくりした。

 

なぜならその頃の私は、

「ビキニは若い、スタイルのいい女性が着るもの」

という思い込みがあったからだ。

これも私が持っていた見かけに関する1つの「べき」だった。

 

人々がどんな体型で、何を着て、何を楽しんでいようと

人のことをいちいち言う人なんて

この国にはいない。

 

みんな自分が着たいものを着て、

行きたいところに行って、

好きなことを楽しむ。

 

楽しむこともとても上手だといつも思う。

 

そしてこの国は、移民の国だ。

100か国以上の違う言語が話されている人種のるつぼである。

 

10人集まったら、10人とも出身国が違うのもよくある話。

 

学校に行けば、クラスの子供たちは

肌の色も

髪の毛の色も

目の色も

体の大きさも

お父さんとお母さんの出身国も

お家で話す言葉も文化も

持って来るお弁当も

信じているものも

1人1人みんなぜ~んぶ違う。

みんな違って当たり前。

 

違うことを当たり前に受け入れている国だと思う。

 

日本人の私も

この国に温かく受け入れてもらっている。

 

日本文化も、中国も韓国もインドネシアもタイもベトナムも

フランスもイギリスもイタリアもポーランドもハンガリーもウクライナもロシアも

全ての文化を尊重してくれて

それを祝うお祭りもたくさんある国だ。

 

違うことで何かを言われることは、

皆無ではなかったけど、

基本的に違うのが当たり前だというのが根本的にあるのだと思う。

 

そして人のことをいろいろ言ったりとか

人の目を気にするとか

そういう「世間体」は、

大人の世界では

あまり感じない。

 

もちろん

年頃の子供たちは

いろいろ思うことがあるだろうとは思うけど、

大人の世界では

少なくとも「世間体」を気にして

何かが出来ないと考える人は

あまりいないんじゃないかな。

 

移住したての私は、

勝手に「べき」にまみれて

”なんであの人はこんな格好でこんなことしてるんだろう?”

”恥ずかしくないのかな?”

って心の中で思ってた。


自分の「べき」のせいで、

たくさんたくさん

人と、社会と、

ぶつかった。

 

大きすぎる「べき」は、

視野をものすごく狭くしてしまう。

人を受け入れることが出来なくなってしまう。

 

だから、あの頃の私は、

ものすごくちっちゃかった、と思う。

あくまでも

今の私と比べたらだけど。

 

 

オーストラリアは、

そういう意味で

土地も大きな国だけど、

ものすごく寛大な国でもあると、

私は思う。

 

ここに住めている私たちは

やっぱりラッキーかも。