3年ぶりの帰国では

「偏見」という言葉が

何度も頭をよぎった。

 

「偏見」は、

文字通り、

「偏った」「見方」

である。

 

びっくりするくらい、

似通った考えをその地域の人たちは持っていて、

改めて驚いた。

 

地域性ともいうのかな。

 

その輪から抜け出て外に出ると、見えることがある。

 

そして、外に出ないと全く見えないものがある。

 

 

前回のブログでも書いたけど、

その地域の常識なんて、所詮その地域でしか通用しない。

だけど、その「常識」がものすごく強くて、

それを「世間」がしばりつけている感を受けた地域はある。

 

つまり、「べき」度がめちゃめちゃ高いところだ。

 

私は、日本に帰る度に、

最低でも3都道府県を回る。

 

家族が北と南にいるから、と

国際空港が真ん中にあるから。

 

今回は仕事もあったから、5か所。

 

このコロナがまだある時期だからこそ、

そして、私が日本の外に住んでる日本人だからこそ、

それぞれの地域性をめちゃくちゃ感じた。

 

同じ日本でも、地域によって、

考え方や、雰囲気?がだいぶ違った。

 

例えば、沖縄。

沖縄は、たくさんの複雑な歴史と独特の文化のある場所。

語りだしたら1ページじゃすまないので、この「べき」度に関してだけ語ると、

沖縄は一番緩い。

地域性とか、気質とか、気候とか、文化とか、元々の考え方とか、理由はいろいろある。

その中で興味深い1つの理由は、

アメリカという国が混在しているからなんじゃないかと私は思う。

沖縄の4分の1は米軍の基地だ。

日本人もアメリカ人も

沖縄の文化も日本の文化もアメリカの文化も全部ごちゃまぜにして、

何十年もの間

全部受け入れて、大切にしてきた。

じゃないと暮らせなかった。

みんな仲良くしないと一緒に暮らしていけなかった。

そういう背景もあるんじゃないかと思う。

だから、沖縄は、他の人や文化を受け入れることが、

他の都道府県より上手なんじゃないかと思う。

 

そして今、沖縄の土地でありながら基地の中はアメリカ国カリフォルニア州である。

だから、国道を走っていて、フェンスの向こうはアメリカ。

コロナ収束をしている「アメリカ」である基地の中、つまりフェンスの向こうは誰もマスクをしていない。

そして、フェンスのこっち側の日本はマスクをしている。

同じ土地で。

この異様な風景の中で、いろんなことを受け入れてきた沖縄の人たちは、

海外から帰って来た私たちに対してもとても寛容だったし、

考え方が外から来た私たちと似ていた。

 

 

それと比べて、

他とあまり混ざることのない地域。

その地域の「べき」度の高さには、

驚かされるものがあった。

 

同じところにいて、

同じ情報を聞いて、

ずっと同じような似たような生活を続けていると、

きっとみんな似たような考え方になって来るんだろう。

 

「地域性」や「和」を大切にして、「協調性」があるのは、

私は日本人の素晴らしいところだと心から思う。

 

だけど、「違うもの」を受け入れるのがあまり上手じゃないのかもしれない。

 

この「協調性」が、マイナスに働いているのを感じた。

「違うもの」を受け入れずらい文化がそこに根付いている。

そして、そういう地域が一番「世間体」を気にしている。

 

コロナで3年間あまり出入りがなくなったことで、

そこに住む人たちの「偏見」や「世間体」がものすごく強くなっている気がした。

 

「べき」度激高である。

 

「周りになんて言われるかわからない」

という感覚は日本特有。

 

沖縄はそれがあまり強くない。

オーストラリアは、ゼロ。

 

私は、そういうものが強い地域には、もう住めない。

そして、そうやって外からやってくるからこそ、

そういうものを強く感じることがある。

 

たぶん、

ずっとそこにいたら、わからない。

自分が何色なのか、

きっとわからない。

それがどういう影響を与えているか、

いいことなのか、

悪いことなのか、

どうやって変えて行ったらいいのか、

変える必要があるのか、

 

だいたいそれがそこにあるのかどうかさえ、

たぶん全くわからないだろう。

 

でも。

 

そういう偏見や世間体を気にして気にして、

心を病んでいる人たち・子供たちがいるんじゃないか。

 

それを気にして気にして

人としての温かな繋がりが失われてしまうんじゃなかろうか。

 

それを気にして気にして

人というものを信じられなくなっちゃうんじゃないか。

 

それを気にして気にして

人としての本当に大切なものが失われていくんじゃないだろうか。

 

と、

正直、マジで心配になった。

 

 

子供たちの不登校が増えていると聞く。

そして、私がかつて住んでいた場所は、

不登校の生徒数が日本一らしい。

 

 

外から来る私には、

なんとなくわかる気がする。

 

理由の1つはこれなんじゃないかと思う。


 

「違うもの」を「世間」が受け入れられるとこが出来れば、

それで苦しむ人たち・子供たちは

きっと少なくなるんじゃなかろうか。

 

 

もちろん、それが全てではないし、

全員がそういうわけではないだろうけど、

 

 

外から行った私は、

今回とても感じた、な。

 

 

日本の温かい「地域性」や「協調性」や「和」が

いろんな人を優しく包み込んで

いつまでも続きますように。