先日、JR大船駅でストリートピアノを楽しんできました。
ピアノは幼稚園の頃から、ふつうの「ピアノ教室」に通っていたのですが
昭和時代のあるある・・ですが、めっちゃスパルタな先生に何人か
ついてレッスンが怖~い、、と思う時期もありました。
先生がいろいろ変わっても、、続けていたピアノ。
当時のピアノ教本、全音のを私の先生たちは推奨していたので、
初心者はオレンジの帯(ブルグミュラー♪懐かしい!)、
中級が黄色い帯、そして上級が青い帯、(ソナタ全集など)、、
いよいよ作曲家別の、箱から出して本を取り出すような高級な教本、、
と気づいたらバッハとかブラームスとか、、いろいろ弾いてました。
30代前半までピアノの発表会に出ていた、という・・(笑)。
ピアノ教室をやめるころに弾いた思い出に残る曲は
M.RAVELのソナチネ。
これは大好きで、3楽章まで暗譜で弾きました。(今は無理~!!)
ガーシュウィンのラプソディ・イン・ブルーも弾きましたが、これは
弾いた、という感覚よりとにかく最後までコンプリートした!という感じで、
あんまり音楽的にいい思い出はないです。
アメリカに住んでいた時(1980’s)も最初は全く英語がわからなくて、
孤独でつらくて自分の存在(identity)が行方不明になって、
自分を見失うような時期もありましたが、その時も自分がピアノを
弾けたことで、180度、世界が変わった、という経験しました。
日本人が私一人だった地元の中学校、高校で
「ピアノを弾くアジア人」
として、”AKIKO”がいました。
ピアノのおかげで、ともだちができて英語も上達できて
授業も普通に受けてたし友達とつるんで、、遊んでました。
ピアノが私を救ってくれたのでした。
実は一瞬だけ、「音楽大学」に行こう!と思った時期もありました。
しかし・・どうしても、音楽理論の本の内容が全く理解できず、
諦めて、受験用に練習していたのかなー、、残されていた
コンコーネ(中声)をピアノレッスン最後に歌って終わる、
というようなレッスンをしてましたっけ・・。
小学校のころ(日本にいました)、YAMAHAからいい感じの
ポピュラーソング集みたいなのが、いろいろ出ていて、マセた女の子では
ありましたが、いろいろ弾いてました。ポール・モーリア、映画音楽、
ポップス(Feelingとかはやってました。)など。ジャズ・スタンダードも
入ってたけど、当時はまだ全然わからなくて、スルー(笑)。
(ジャズのコードの楽しさ、奥深さについてはお恥ずかしながら、、40年後に
やっとわかるようになる少女akkoでしたー。)
私は音楽の力、信じてます。
今は住宅事情により、ポータブルなキーボードですが、
大船のストリートピアノを弾けて、、嬉しかったでーす。
akko