先日の早朝


電話鳴ってましたよ?と同僚。


見ると母から着信が2件。


何かあったなーと掛け直すと予想はほぼ的中


だいぶ具合が悪いとは聞いていたが


叔父が天国へ召された。


ある程度心の準備があったので驚きもしなかったが

その日、通夜だということで


よかったと思った。


その晩は、家に帰れる予定。


通夜に行くことが出来るから。


新幹線に乗ってしまえば


私の故郷は

横浜に行くのと同じくらいの時間で行ける笑


大腸癌で闘病していた叔父


享年65歳


このブログは、叔父を忘れないために書いている。


ずっと独り身だった叔父は畳職人だった。


末っ子だったが、父よりひとまわりも下だったのは、


後妻の子供だったから。


父とは仲良く、


お正月には父と我が家で一緒にお酒を酌み交わしていた


たくさん飲んで4時間寝て、軽トラで帰って行くのを


「4時間寝たら飲酒運転にならないんだろうか?」とよく不思議に思ったものだ。


ちょっとハスキーボイスで色白で、

日本人らしいたくましさ、

目がとても優しい叔父だった


もっと上のお兄さんから、怒鳴られたりいじめられたりしていたけれど(大人でもいじめってあるんだ。私が今だったら、何か絶対言ってやるのに)


いつも穏やかで


忍耐強かった


私の子供たちも時々会うと可愛がってくれた


若すぎる死ではあったけれど


その忍耐強さと穏やかさ


棺の中の顔は、それを讃えていた


生き様。


叔父さん、かっこよかったよ。


しんどかったでしょう。楽になってよかったね。


そう私は話しかけた。


そして、


ひとまわりも下の弟の喪主をする父は

どんな気持ちでいるのだろう。


人間いつが寿命か分からない。


「一日一生、


いつまでも生きると思うなよ」


もう1人の私が私に話しかける。


だから、私は自分の心に正直に生きる。


写真は、手土産に持っていった


青柳さんの栗の生菓子🌰(画像は拝借)


期待を裏切らずに美味しかったし


高齢の親戚たちは、懐かしい味だと言った。


大好きな栗の時期には、毎年、叔父を思い出すんだろうな〜


今年は栗拾いに行きたいな〜なんて思った