こんにちは、Akkoです花

 

そうだ、すっかり忘れてた。

昨日のブログを書きつつ思い出したよ。

私、産後鬱にもなってるし、癌にもなってるんだったあせる

 

今日はせっかくなので?そのことについて話していきます☘️

 

まずね、産後鬱について。

 

もうね、これは環境だと思う。

 

私は25年くらい東京で育って、そのあと結婚を機に大阪に移住。

その時の知ってる人は夫のみ。

友達どころか、知り合いもなく。

 

結婚後すぐに大阪市立の小学校で常勤講師をしてた。

(あ、これについても後日また話そう)

で、そのあとは歌やピアノを教えてた。

つまり、出会う人は基本的に生徒。

友達にはならないよね。

 

同僚は先生。

まだ当時は私が若手で、友達になれるような人物おらず。

 

こんな具合で、数年経っても全く友達ができなかったし

それでいいと思ってた。

 

で、大阪に行って5年後に息子を授かる。

妊娠中も話し相手は夫か実母。

(元々毒親だが病気で相当体がキツくなり、

母も変わってきてまともに会話するようになった。

ここについても後日書くね)

 

そして無事に産まれたあと、夫は仕事であまり家におらず。

実母は病気な上に遠方。

夫の実家とは超絶合わない上に、ほとんど私の面倒も孫の面倒も見てくれない。

(あー、ここも書きたいところ!また後日)

 

気づけばずっと孤独に生きてた大阪時代。

 

初めての赤ちゃんで、どうしたらいいかわからない。

とにかく、いいお母さんでいなきゃいけないという思い込み。

無理、友達ゼロ、実母頼れず、夫は仕事で家にいない、

夫実家から受ける精神的ダメージ、実母の体の心配…

 

こんな状況で一人で子育てしていたら、精神と体がぶっ壊れたドクロ爆弾!!

気がつかない間にね。

 

体が痛い、動悸が起きる、無気力、などなど

鬱状態だった。

赤ちゃんは可愛いし、自分が鬱になるなんてあり得ないって思ってた。

だから、当時はまさか鬱だとは思わず、

どこか悪いんだとおもって、いろんな病院へ。

血液検査、エコー、CTなど撮っても何も出ず。

 

ある時ふと、甲状腺系の疾患であることを潰そうと

(ネットで症状から病気の可能性を探った結果、

甲状腺に問題があることも、と見たため)

甲状腺専門の開業医へ。

 

そこで、まさかの一言。

 

   甲状腺に癌があるかもしれません

 

もうさ、言われた瞬間に『死』って文字が頭に浮かんできたよね叫び

でも、細胞診してみないとわからないって言うから

私がまさか癌になんてなるわけない、って希望を抱いてた。

 

で。

 

結果。

 

  やっぱり思った通りでした。癌ですね。

 

もう、頭真っ白よ。

再び、私はもしかして死ぬのか?

そう思った。

子どもは?

まだ小さい。当時2歳。

この子のために死ねないと言うより、

私がこの子ともっといたいから死にたくない、と思った。

 

そこから冷静に医師の話を聞き

癌と言っても、おとなしい癌と認知されてること

私の癌は大きくないこと

持ったまま寿命をむかえる人もたくさんいるけど

稀に転移や悪さをすることもあるので手術は推奨であることが告げられた。

 

考える間もなく

  手術します

って無意識に言ってた。

 

その施設では手術ができないので、大学病院を紹介してもらった。

担当医はベテランの甲状腺専門医として著名な医師だった。

私のど素人の質問にも全て答えてくれる

とても優しい温和な人だった。

 

でも、私はそんな医師を怒らせた。

 

手術をすると決めたはずが、人生初の全身麻酔だし

息子と初めて一週間も離れなければならないし

鬱の症状も続いていた

私の不安たちがザワザワしてた。

 

医師に手術日を何日か提示されるも

「この日は息子の幼稚園の予定が」

「その日はちょっと夫のいない日で」

などなんとか逃げようとした。

 

そして医師に

「手術したくないんですね。あなたが決めることなので

僕はどちらでもいいです。でも、あなたは周りの人ばかり気遣い

自分のことは後回し。生きること以上に大事なことはありません」

と本気で怒られ

「僕を待ってる患者さんがたくさんいるので、これ以上あなたに

時間を使うわけにはいきません」

と診察室を追い出されてしまった。

 

頭を冷やせ、という医師の優しさだった。

 

頭では色々わかるけど、わかっていても

私の不安を軽視されたようでショックだった。

それに、まさか医師に怒られるとは思わないショックも大きかった。

 

病院の待合室で泣きそうだった。

 

その横で、息子はニコニコしていた。

そしてひどい顔の私を察して

「どうしたの?あのおじさんお母さんをいじめたの?

悪い人なの?」

と言われハッとした。

 

悪い人…

まさか!

私を救おうとしてくれてるのに、悪い人どころか正義の味方

スーパーヒーローじゃないか!

 

私はそこでやっと決心が固まった。

 

近くにいた看護師さんに、先生に謝りたい

手術をお願いしたい、日程はいつでもいいと告げ

しばらくして再び診察室に呼ばれた。

 

医師はニコニコして迎えてくれた。

「よく決めましたね。あなたが治したいと思う限り

僕は全力であなたを治します。

あなたの決断を絶対に後悔させません」

と言ってくれ、また泣きそうになった。

 

絶対にこの人に任せれば大丈夫だ、とその時確信した。

 

実は私の癌は、手術しなくても寿命には関係しない確率も高かった。

手術をせずに経過観察でもいいとも言われた。

ただ、癌は癌なので、大きくなる可能性が低くはないと言われた。

最初は迷った。

少しでも大きくなれば手術するか、と。

 

ただ、できている場所が悪かった。

反回神経に接しており、あと1ミリでも神経側に大きくなったら

声が出なくなって話せなくなるかもしれない、と。

また、手術の際に神経に触れてしまう可能性もあり、

術後声が出にくくなったり、最悪の場合は一生声が出なくなることもある、と。

 

その時私は

「息子と話せなくなるんなんて絶対に嫌!」と思った。

 

手術しなくても声が出なくなるかもしれない

手術しても声が出なくなるかもしれない…

これが頭の中でぐるぐるしてた。

 

いや、ちょっと待てよ。

 

私の手術をしてくれるのは、あのスーパーヒーロー医師だ。

絶対に大丈夫じゃん。

 

実は何度も何度も、不安が行ったり来たりした。

 

死や今までできていたことが急にできなくなることは

恐ろしくて仕方がない。

もうこれは、本当に怖い。

でも、

どうしようもない。

だから、考えない。

考えるだけ無駄だ。

やってみたらいい。

やってみて考えろ。

 

私に起こってる全てのことには意味がある

最終的にはこの価値観に辿り着いた。

 

そして、恐怖が消えることはないけど

手術に臨むことができた。

 

術後も痛みや、ドレーンの血生臭さや色々不便はあった。

でも、術後からすんなり声が出た。

 

わーーーーーーーーーーーーーーーーーん泣くうさぎ泣くうさぎ泣くうさぎ

医師よ、息子よ、みんなありがとう大泣き大泣き飛び出すハート飛び出すハート

 

恐怖って、体験し終わって、やっと無くなるんだよね。

 

メンタルの強い人なんていないんじゃないか、って思う。

だって、みんな怖いものは怖いし不安じゃん。

ただ、それらに勝つんじゃなくて、

勝つか負けるかわからないけど

未来に夢を託す一歩を踏み出せるかどうか、

ただれだけの違い。

 

だから、誰でもできる。

 

この手術を乗り越えたことで、私の産後鬱は徐々に終わります。

 

この時はまさか数年後、自分が子どもとふたりでカナダに住むなんて思わなかったし

想像すらつかなかった。

 

私が人間として一つの大きな経験をしたことで

道が勝手に拓いたんだなぁ、と感じてる。

 

死より怖いものは何もないから

なんだってできる気がするよね。

 

さ、今日も一日やりたいことやって

楽しくいきましょう爆  笑爆  笑音譜音譜

 

では、またねちゅースター