こんにちは、みるこです。
ブログ書くの久しぶりすぎて、「あれ?コレってどうするんだっけ?」ばかりで、なかなか先に進みません。ふふふ、さすがワタシ
今日のタイトル、真に受けなくてもいい、なんですが、朝になんか閃きましてね。こりゃあ、天(神/宇宙)から「お題」いただいたんだわーと勝手に解釈することにしまして。自己紹介の前なんですが、今日はコッチを書き散らかしますネ。
さてさて、突然なのですが。
あなたは場の空気を気にする人ですか?
場の空気を読む人は一定数いらっしゃるでしょうが、その空気を「気にする」人はそれよりも少ないでしょう。
というのは。
ただ、空気を読む人は、その場の空気がよくても、悪くても、お天気模様のように傍観、他人事的に考える。だって、お天気ってどうしようもないもんだしネ。一方、「気にする」人ってのは、場の空気全体を(またはその一部を)自分の責任の範疇だと感じられる。
これら自体にヨイ・ワルイの判断はありません。だって、ただの感じ方の違いですから。
で。
このブログを読んでくださってる方々は、私と周波数が同じということなので、おそらく、かなりの方々が「気にする」人だと思います。お仲間じゃない?
私がよくやるのはね。場の空気がよい時はいいのだけど、悪くなってくると、ものっすごく消耗する。なんとか雰囲気を良くしようと心を砕き、気を遣う。遣いまくる。物理的には何にもできなくても、もがく、もがく、もがく。
でも。悲しいかな、それに関係なく、大概、場の空気は悪くなっていく一方でさ。空回り的しちゃってる、ワタシ?とか何とか考えてたら、ネガティブなスパイラルがどーんとできて、その場の空気を拾いすぎて、悪くなっていく空気そのものになっちゃう。
で、そんな時。ちょっとズらしてみるんです、視点を。
場の空気に焦点をあてるんじゃなくて。「場の空気をつくっている人」、「支配している人は誰か」に焦点を当ててみるとネ。
なんか感じ方が変わる。確実に変わる。
「この人は、自分の意見を通したいからこんなコト言うんだな。」
「あっ、この人今感情に飲み込まれてる。」
「おっ、この人とあの人の駆け引きがはじまった、どうなる?」
と。よくも悪くも、他人事になっちゃって。
たとえていうなら。今まで、水族館で。水槽の中で魚と一緒に泳いでた感覚(自分事)が、水槽というぶ厚いガラスを通して魚を見る(他人事)感覚になる。ネ、全然違うくないですか?←興奮して日本語が変に
ということで。
場の空気を真に受けなくていいんです。むしろ、他人事にしちゃった方がいい。野次馬根性を前面に押し出すと、キューっと窮屈になって縮こまっていた心が緩まります。
ワタシよくやります。最初はめっちゃビビるけど、だんだんプロレスを見ている感じになる
なんでも自分のせいにしなくてもいい、真に受けなくてもいい。
お仲間のミナサマの心が少しでもラクになりますように。
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。