こんばんは、小林あっこです^^

 

今日はバレンタインデーですね。

 

 

ちょうど家にあった

DADACAのCATLATEという

チョコレートの画像w

をおすそわけ。

 

 

 

 

ちなみに中身は

猫がかたどられた板チョコ!!

 

 

 

 

上手に割れるのか、、、

 

 

 

 

 

無理でした💦

 

 

 

 

 

 

 

 

CACAO65%の高カカオチョコです。

 

私は高カカオチョコが

どちらかというと苦手なんだけど、

 

これは

フルーティな甘いいい香りもして

さほど苦味を感じることもなかったので、

 

何のフルーツかは分からない;

原材料を見てもフルーツらしきものも見当たらず、、、

 

美味しくいただけましたー。

 

 

 

 

 

ではでは、

今日は2つ前の記事に書いたことについて補足を^^

 

 

 

この記事で

こう(↓)書いたんだけど

 

 

以心伝心、できたらいいよね。

あこがれるねぇ。

 

そのくらい

言いたいことがほんとうに伝わらなかったなぁ。むかしは。

 

 

この

「むかしは」

ってところ、気になりません?

 

ってことは今は伝わるのか?と。

今は伝わるのなら、それって希望をもてるよね!

 

 

 

はい、今は伝わります。

今は伝わるようになりました。

 

 

でも、伝わらないときもあります。

 

 

 

・・・どっちだ?!

 

 

 

これって相手次第なんですよねぇ。

 

 

+ + +

 

 

共通言語のある相手、

共通項のある相手ならば

話は伝わります。

 

そして、この共通項が

エモーショナルなものであればあるほど

相手はより「分かってくれる相手」となりえます。

 

 

そうでない相手との場合には

やはり、、、伝わらない;

 

何かしら妥協をして話をするか、

 

もしくは

そもそも相手には伝わらなさそうな話題の場合には

もうそれは出さない、、、とするか。

(相手の好きな話題だけを出すか)

 

 

・・・と、

伝わる相手に伝わる話をする、という

選択ができるようになったんですよ。

 

「自分にはそういうことが必要なだけだったんだな」

と分かるようになったというか、ね。

 

 

 

 

でね、

その「伝わる相手」は

もしかしたら数は少ないかもしれないです。

 

たとえば

HSP気質をもつ人が約20%、、、

というような割合があるように、

 

私たちにとっての

「話が伝わる相手」

「気持ちを分かってくれる相手」も

比較的少数派、、、かもしれないです。

 

 

でも、

ゼロとは限らないと分かっただけでも

私はすごく楽になれたよ^^

 

 

 

私は

ほんっとうに

ずっと昔から

(小学生くらいのころから)

 

自分の話したいことが

人にそのまんまには通じなくって

 

キョトンとされることが多くって

 

相手がリアクションに困ってたり

 

時として相手は引いてたり、でね;

(ほんと申し訳ない、、、;)

 

 

なので、

 

どこにいったら自分のしたい話が伝わるのだろう

どこにいったら分かってくれる人がいるんだろう

どこにいけば分かってくれる人と出会えるのだろう

どこにいったら分かり合えるのだろう

 

もしかしたらそんな人はいないのかな

誰にもずっと分かってもらえないままなのかな

 

そう

うっすら絶望しながら

「周りに合わせる」ということを

やり続けてきた人間だったんです。

 

 

だから、

ゼロではないかも、ってだけでも

十分にすくわれたよ。

 

それだけでもすんごく希望になったから。

 

 

 

で、今

少ないながらも

そういう人にも出会えています^^

 

 

だから、今もしあなたが

分かり合える相手がいなくて

絶望的な気持ちで毎日を過ごしていたとしても

あなたにもそういう人は必ずいるから。

必ずいる!と断言するよ。

 

 

+ + +

 

 

ただ

そのためには

感性の似ている人との

コミュニケーションが必要となる。

 

感性・感受性・価値観の近しい人と

コミュニケーションをとれる場をもつことも

必要となります。

 

 

 

感性の近い人、

身近で見つけるのはもしかしたら

なかなか難しいかもだけど

(趣味のサークルとか?そういうのがあればいいんだけど)

 

もしそういうのがなくても

今はネットで発信も手軽にできる時代だし、

 

自分が発信しなくても

誰かの発信を観ながら探す、、、

という手もある。

 

 

でも、

自分で発信・表現をすることのほうが

私としてはおすすめします。

 

 

 

表現、やってみない?

 

自分から発信するほうが、

それに呼応してもらえて

同意や共感をもらえたとき

本当にうれしいし

手ごたえを感じられるよ。

 

 

身近で共感し合える同志がいないHSPさん・内向型の人には

ほんとうにほんとうに表現をおすすめします!

 

 

 

今年は表現にチャレンジしてみませんか?^^

 

 

 

 

ちなみに、

私の「人に通じなかった話」って

そんなに大した話ではなくってね。

 

たとえば、、、

私は「もどかしい」という感情を

感じることがよくあるんだけど、

(よくあるのか、、、;)

 

この「もどかしい」って言葉は

ほんとにこの感情をぴったり表していると

思ってるんだよね。

 

そこで

この気持ちを誰かと分かち合いたくて、

 

「もどかしいって言葉を作った人は天才よね!」

 

と話してみたところ、

まったくもって誰にも伝わらない、、、

 

みたいな、

そういう感じのことだったりします。

 

 

ほんと大した話ではないんだけどもね^^;

 

ただこういうレベルのことが何度もあって

それが自分の中でいくつも積み重なっていくと、

地味に削がれるんですよね;

 

 

で、それ自体は「大した話ではない」んだけれども、

でも自分的にはやっぱり大事なことではあるので

感情や感性なんかも絡むことなのでね

 

だから、それを分かち合える人が誰もいないのって

やっぱりさびしくもあって、

 

そして、そういうのが何度もあると

地味にこたえて、、;

 

そうこうするうちに

「あぁ、自分はずれてるんだな;」

「自分は何かおかしいんだな;」と

そう思うようになっちゃって、、;

 

 

それで

 

あぁ、通じないなぁ。。

伝わらないなぁ。。

 

どうも自分だけが違うみたいなんだよなぁ。。

 

・・・ってことは、私が間違ってるってことかな?

私がおかしいのかな?

きっとそうに違いない。

自分が変なんだな。。

 

じゃあ、みんなに上手に合わせて

こんな変な自分がばれないようにしないと、、、

 

 

・・・ってな感じで

みんなと同じことができない

間違っている

変でおかしな自分の、ハイ、出来上がり。

 

 

なんかそんな感じだったんだなぁ、って

いまは思います。

 

 

 

でも、そうではなかったよ。

 

変でも

おかしくも

間違ってもなかったよ。

 

ただ周りの人と感じ方が違っていただけ、だったよ。

 

 

他には、本や映画を見たときの感想や

掘り下げ方の違い、とか。

そういうささやかなことがいくつもあったなぁ。

 

授業の読書感想とかが

みんなとあまりに違っていると

そういうのも自分をダメだと感じる大きな要因になっていくよね、、;

 

 

 

・・・と、長くなっちゃったので、ひとまずこのへんで。

 

ではでは、またね^^