ちょうど1週間前に
小さな小さなセミナー(のようなもの)を開催させていただきましたっ。


人前で話すのが苦手な私にとっては初めての試み。


これまでそういうことを
やろうと思ったこともなく
したいと思ったこともなく
これからもきっとしないであろうと思っていたことだしね。

それを
なぜだか(っていうか、ちゃんと理由はあるんだけどね)
しようと思い立ち。

こっそり募って
こっそり開催させていただきました。




・・・やぁ~、きんちょうした^^;

それに、準備をしているあいだも、もうしにそうでした^^;


こういうことをみんなやってはるんやなぁ~と思うとね、

他の方のそういうお知らせなんかをよく目にしてはいたんだけれども
その一人ひとりそれぞれにきっといろんなドラマがあるんだろうなぁ、と。

こちら側にとっては
さっと目の前を情報が流れてゆくような感じなんだけどね。

でも、
そのそれぞれに
濃ゆい想いや濃ゆい時間が流れているんだなぁ、って
そんな当たり前のことを思いました。


そして、
そういうことをしている人たちのことを
すごいなぁ、と改めて思った。

や、ほんと、すごいよ。



やらないと分からないことがあるね。
やることで初めて感じられる感情もあるし。

ほんと、まだまだ知らない感情があっておどろきます、、、^^;





せっかくだから、そのことについて書きたいんだけど、
何から書いたものか~^^;




セミナー前の1週間くらいは
微熱がつづいたり
吐きそうだったりして。

いたって健康なわたしが体調をくずすときというのは、
酔っぱらって窓をあけっぱなしで薄着で寝てしまったときか、
もしくは、逃げたい何かがあるときなんだけど。たいてい^^;


・・・そう、逃げたくなってたんですよねぇ;

なんで、こんなことを「やる」って決めちゃったんだろう、って。
自分で「やる」って決めときながらね。

自分で「やる」って決めて
自分で「やる」って決めて声かけをして
自分で「やる」って決めて準備もすすめていて。

だから、やめるわけにはいかない。

いや、やめることはできる。

でも、
「やっぱりやーめた」は、そこはかとなくダサいし
それに「行きたい」と言ってくださっている人もいるのだから
やめることなんてできない。したくない。


なので、どうしたら出来そうか、を考えました。


で。
私は
「準備はお守りになってくれる」と信じているので、
「これだけやったんだから」を作ることにしたんです。

それは、これを作ることだったり、




当日用の原稿をあらかじめ作ることだったり
(ぶっつけ本番で話せる人ではないのでね;)
(半分くらいしかできなかったけど;)


そして、
その原稿を
この中に書き込むことだったり



(これなら、ポンと頭が真っ白になっても、それを読むだけですむよなー、って)
(でも、実際には読めなかったんだけど。夜中の走り書きのこの字が自分でも読めなかった。。。orz)




で、終わって思ったこと。

準備は確かに私を助けてくれた。

準備することでやっぱり「あれだけやったんだから」そう思えたし、
そう思えることはわたしの中に安心感をもたらしてくれたしね。


でも、それと真逆のワードが私のなかで点滅してたんです。

それは、
「できない私のままでやる」ってこと。

そう、
「できない私のままでやる」って決めて
そうして、「やる」を繰り返してゆくことで
すすんでゆけるんだなぁ、って。


上に書いた「準備」は、
「やる」って決めた上でのこと。

だから、「できる私」になるための準備、ではない。

「できない私」ができないままで「やる」って決めたことに対しての、
「じゃあ、できる限りのことをしよう」と思っての準備。

なので、
「できる私」になるための準備とは違う。


・・・んーと、うまく書けない^^;


なんしか、
いわゆる、自信をつけたくて、あの資格もこの資格もとって、それからはじめよう、、、
っていうのんがありがちだけど、
(その気持ちもよーく分かるんだけどね)
それとは違う。

それではなく、
「できないままはじめろ」。


何かで読んだいいことばに
「人生って、ステージの上で練習をしているようなもの」
っていうのがあってね。

もちろん、客席にはお客さんがびっしりと座っていて
その状況でそこで練習をする。

練習だから、もちろん失敗もする。
まったくうまく弾けないかもしれない。
それがバイオリンだったら、ギーギーといった音が鳴るだけの状態を
人にさらしてしまう。。。

でも、そういうものだ、と。


そう、
「できないまま」だから、
失敗もするし
醜態もさらすし
ぶざまな自分がひと際フューチャーされる。

でも、それでいいんだ、と。



そう、失敗すればいいんだよ。

で、
失敗したら失敗したで、
意外に平気だったりもするし。

意外に平気な自分に気づけたりもする。


私は
「うまくやりたい」と思っていた自分を
しょうもなく思えるようになりましたw


もちろん、それは自分自身でも
「うまくやれるようになりたい」「できたい」
そう思う分野ならばやっぱり今も「うまくやりたい」って思うだろうけれども、

たとえば今回のような「人前で話す」ってことは
そんなに上手になりたいわけでもないので
「なら別に下手でもいいやん」って
なんか開き直れました。



開き直ることがいいことかどうかは分からないけれどもね、
でも、「これが苦手」「これができない」が変な呪縛になってたかもしれないので
そこから抜け出せた、、、というか元々そんな呪縛はなかった、、、のかもしれないよね。
もしかしたら。
・・・あー、しょうもない。





だったら、こういう経験をした今、というか今後。
これからはサクッとやってゆけるのだろうか?

その答えは「No」だと思います。

だって、そういうことではないもん。




一度経験したからといって、それだけで
「“できない”とひるむ気持ち」がなくなるわけではないよね。

過ぎた道を振り返って
「なーんだ、たいした道ではなかったやん」
そう思うことはできるけれども、
これからゆく道に対しては
そうは思えないはず。

すんごい上り坂に見えるかもしれないし、
途中で休憩なんかはできなさそうに見えるかもしれない。

だったら、
だいぶ体力をつけてからでないと行けないよね。

中途半端に見切り発車で行っちゃったなら
途中でえらく困ることになるかもしれないし。。。

そんなあれこれを思い悩み
きっと足はなかなか動かないだろう。


だって、経験は魔法ではないもん。
催眠術をかけてもらったように
次からはサクッとすすめる・・・なーんてわけではない。



それでも行くためにはどうするのか。
それでも行きたければどうすればいいのか。


それが、「できない私のままでやる」。

あぁ、それしかなかったんだなぁ、、、って思い出すだけ。



だから、
これからも
できない私のままでやってゆこう。
できない私のままですすんでゆこう。

そう思います。


サクッとはできないかもしれないけど、
いつまでたっても恐る恐るしかすすめないかもしれないけれども、
それでもそんな私のままですすんでゆこう。

後悔だけはしたくないから。