京都が誇る二条城。

国宝・二の丸御殿。

 

徳川家康が

「徳川家が天皇の前で直々に将軍宣下を受ける」ための

宿泊地として作った城です。

 

三代家光までは来ましたが。

そこから来なくなる・・・。

大人の約束は守ってほしいものです・・・。

 

次に来るのは

なんと14代将軍家茂。

病弱な家茂でしたが、

天皇に

「勝手に開国しおって!!!

外国人を追い出せと言っているのに未だにやっとらん!

どうなってるんや!進捗状況の報告、

ここまでしに来い!」と。

(天皇なんでこんな言葉遣いではないと思うが)

 

そこで、新撰組ともなる浪士組も来ますが。

 

そして、

15代将軍、慶喜が家光以来、

ここで将軍宣下を受けます。

 

「幕府はもう倒れるからやりたくない」

散々駄々を捏ねます・・・。

 

しかし、引き受ける以上、

尊敬する家康の作法にのっとり、

また、徳川幕府の印象最悪なので少しでもと・・・。

 

それでも、

ここで大政奉還をいたします。

徳川幕府、焼く280年の幕が閉じました。

 

幕末ヲタクの私は

ここに来ると胸が苦しくなる・・・。

 

慶喜がこれ以上日本が戦火にならないように

断腸の思いで大政奉還をしたのに、

その願い空しく、

1年以上に渡る戊辰戦争は起きてしまいました。

 

特に、甲州・会津戦争ほど悲しいものはありません。

 

坂本龍馬・中岡慎太郎も暗殺されてしまいますし。

 

 

右手前が大広間の一の間・二の間に当たる場所。

(障子が閉まっていてわかりにくいですが)

大政奉還の儀が行われた場所として展示されている場所です。

 

やや中央の建物は黒書院。

角が二の間(桜の間です)

教科書等に載っている

大政奉還の儀の絵は実はここです。

大広間で、諸大名に発表する前の前日、

幕府の役人たちに「大政奉還する事を諸大名に明日伝えるよ」

と言った部屋です。

 

 

黒書院の二の間の前からとった二の丸庭園。

(外から。場内撮影禁止&障子閉まってます)

 

慶喜はどんな気持ちでこの庭を観ていたのでしょうか。

私はいつもここで黄昏れる・・・。

 

正面の島。蓬莱島です。

不老不死の象徴。

このめでたい島の前でどんなことを思っていたのだろう・・・。

 

二条城に来ると胸が苦しくなる私でした。