【今週の暗誦聖句】

「神は言われる。終わりの日に、わたしはすべての人にわたしの霊を注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。」使徒の働き 2章17節

 

【今日の聖句】

「・・・私は主の前に心を注ぎ出していたのです。」サムエル記第一 1章15節後半

 

「(一人の罪深い女がいて)そしてうしろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらイエスの足を涙でぬらし始め、髪の毛でぬぐい、その足に口づけして香油を塗った。」ルカの福音書 7章38節

 

【おすすめ】

 「私は『祈るだけで良い』と言えるほどに祈っているか。」いつだったか兄と話していた時からことあるごとに心に思い浮かぶ問いかけです。ハンナのように言葉にならないほどの思いを注ぎ出すような祈りをささげてきただろうか。イエスの足が濡れるほどの涙を流し、その思いを表した女性ほどの悔い改めと信頼を、主の前に言い表してきただろうか。それほどに家族のために、教会のために、地域のために、世界のために祈ってきただろうか。

 

 それと同時に、私は、私や家族、教会の働きが多くの人々に覚えられて執り成されていることを忘れていないか。誰よりも、私たちの主ご自身が今も父なる神の前にあって執り成してくださっていることを忘れていないか。そんなことを今日のみことばから心の深いところで問われました。

【今週の暗誦聖句】

「神は言われる。終わりの日に、わたしはすべての人にわたしの霊を注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。」使徒の働き 2章17節

 

【今日の聖句】

「主に向かっていきり立つ者はみな、主のもとに来て恥を見る。」イザヤ書 45章24節

 

「大祭司は再びイエスに尋ねた。『おまえは、ほむべき方の子キリストなのか。』そこでイエスは言われた。『わたしが、それです。あなたがたは、人の子が力ある方の右の座に着き、そして天の雲とともに来るのを見ることになります。』」マルコの福音書 14章61,62節

 

【おすすめ】

 手近な救いを求めて、「見よ、わたしはすぐに来る」と約束してくださった主イエスを否定することがないように。自らが誰かの助けになる力を持っているかのごとく振舞って、主イエスを否定させることがないように。

 やがて来られる主を聖徒と共に告白しながら、みことばに堅く立ち、キリストの愛をもって互いに愛し合い、主を讃えて待ち望む者であるように。

【今週の暗誦聖句】

「神は言われる。終わりの日に、わたしはすべての人にわたしの霊を注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。」使徒の働き 2章17節

 

【今日の聖句】

「主がシオンを復興してくださったとき 私たちは夢を見ている者のようであった。」詩篇 126篇1節

 

「愛は決して絶えることがありません。預言ならすたれます。異言ならやみます。知識ならすたれます。・・・今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、そのときには顔と顔を合わせて見ることになります。」コリント人への手紙第一 13章8,12節前半

 

【おすすめ】

 「イエス・キリストに似た人になりたい。」イエス・キリストこそ、私たち全人類が目指すべき人の姿です。だから私たちはへりくだって聖書を学び、決して完全には似た者とはなり得ないことを弁えつつも、少しでも聖書に記されている御旨に沿う人として成長に与ることができるように日々を歩むのです。

 

 でも、もしイエスがもう一度来てくださり、顔と顔を合わせて見、「キリストに似た者となることを知っている」(1ヨハネ3:2)のなら、なぜ今、イエスに似るように努めるのでしょうか。無駄な努力を繰り返すだけではないでしょうか。

 

 私たちは、私たちも一度は死ななければならない儚い存在であることをキリストの十字架の死によって認めつつ、それでもキリストの復活のいのちをいただき、そのいのちに生きる者として、キリストの愛を反映して生きるのです。神の愛とあわれみを受けた者として、この神の愛を反映し、やがてキリストが再び来られた時に、顔と顔とを合わせるという夢のような現実に向き合うことができるように、世を備えさせる器として用いていただくのです。