【今日はいちごの日】 | 独りぼっちのはぐれ熊☆あっきぃ

独りぼっちのはぐれ熊☆あっきぃ

何を書いたら良いのか?
わからないけど、ぼちぼちやってます!

いちご狩り行ったことある?

▼本日限定!ブログスタンプ

あなたもスタンプをGETしよう


いちご狩りありますよ
かなり前ですけど・・・

過去にFacebookに投稿していた文章です!

〈ここから〉
【7年前】

第58回とやま左義長まつりが、富山市の城址大通り沿い広場で行われ、
市民ら約1万2千人が縁起物を持ち寄り、御神火に今年の無病息災を願いました

お札、書き初め、しめ縄などが集まり、会場に用意されたコンテナに運ばれ
祝詞奏上の後、お払いを受けた御神火でお札を焼いたそうです
このほかの縁起物は環境への配慮から、燃やさずお払いの上、納めるのだとか・・・

とやま左義長まつりは1956(昭和31)年、
それまで富山市内の各神社ごとに行っていた左義長を集約して始まったのですが
左義長で、書初めを燃やして、高いところまで舞い上がっていけば、習字が上達するとか言ってましたけど
お札しか燃やさないんじゃ、あまり、そういう意味での左義長の意味は失われてきましたね

あ、富山市以外は、書初めも燃やしてるし、縁起物も燃やしたりしてるところもあるんだ
中には、釣竿のようなものを使って「延命餅」を焼いて食べてるところもありますし、色々ですね

てか、子供の頃から、城址公園で、左義長は15日だったので
左義長って、15日の小正月の行事と思っていましたが、本来は14日なんですね
昔は「成人の日」で、祝日になってて、必ず休みだったから15日に行われてたんだなあ

今でも「成人の日」では、無くなりましたが
1月15日は「アダルトの日」として、残っています
日本初のヌードショーが開演された日って事らしいのですが・・・

〈ここまで〉

もう1つ過去にFacebookに投稿していた文章です!

〈ここから〉
【8年前】

富山市埋蔵文化財センターは、富山城址公園の市立図書館南側で、
1661(寛文元)年ごろに造られた富山城の堀跡を確認したと発表しました
見つかったのは堀の底で、富山城西ノ丸の北西側に当たる場所です

センターは、現存する南側の堀や北東側の石垣と合わせ、本丸や西ノ丸を囲む堀の正確な位置を知る貴重な手掛かりになるとしています 
堀の底は、旧市町村会館跡地の地表面から約6mのところで見つかりました
江戸時代特有の底面が平らな「箱堀」とみられています

深さ5・2mまでは旧市町村会館の建設に伴い削り取られていましたが
人為的に造られたくぼみがあることから、堀の跡と確認されました

見つかった堀の跡は、これまで推定されていた西ノ丸の堀の位置から約10m西側にあり、
水位は約4mで、当時の神通川(現在の松川)より高かったと推測されます
城の土塁の頂部と堀の底部の高低差は11m前後とみられていますね

現地では、富山公共下水道松川雨水貯留施設の建築に伴い、昨年5月に試掘したところ、
地下約4・8mのコンクリート基礎構造物の下に堀の底が埋まっている可能性があったため、12月15日に調査を始めました
調査に当たった堀内大介主査学芸員は「江戸時代の富山城の絵図と比較することで、新たな発見も期待できる」と話しました

埋蔵文化センターは13日午後1時半から2時まで、堀の底を一般公開しました
これって、あっきぃも自転車や車で、何度も通ってる場所の近くですね
今までの富山城の大きさを推測されていたのより、大きくなったってことですよね

富山城の絵図なんかと照らし合わせていって、
本当の富山城の、全体像がわかってくると良いですね
てか、富山城の全体がわかる資料って本当に少ないみたいです

埋め立てられた部分とかもあるもので、全容はわかりにくいのですが
一番の大きいのは「富山大空襲」になるのでしょうね

子供の頃の滝廉太郎さんも、富山城祉の中に住んでいたってことらしいですし
それすら、実際どこなのかわかんないんじゃないだろうか?
富山で滝廉太郎が、少年時代を過ごしていたのは、間違いのない事実ですけどねね

文化財としての城と言うものが、軽く見られてた時代もあるそうですしね
今の城址公園の中にも民家があった時代があるそうですしね

富山に滝廉太郎が住んでた名残となるようなものは、そうだなあ
現在の松川遊覧船は、滝廉太郎2世号って名づけられていますので、それぐらいかな?
とにかく、富山城によく遊びに行ったあっきぃとしては、全容解明する日が楽しみです

〈ここまで〉

とどめの過去にFacebookに投稿していた文章です!

〈ここから〉
【7年前】

富山県の男子は15歳の元服の年になると
「立山」に登る、成人登拝と言うのもありましたね
これは、夏しか行けないので、1月15日では無かったのでしょうけど・・・

「立山」の開祖、佐伯有頼が、16歳の時に立山を開山した故事に倣っての事ですが
15歳の元服と、一体化して、15歳になった男子は、立山に登らなければならないみたいな感じで・・・

富山県には昔から「立山に一度も登らんもんだら!2度登るもんだら!」って言葉がありまして
立山に登ったことの無い男子は、一人前の男子として扱われず
就職や嫁取りにまで、登ったことがあるか?ないか?は、影響していたと言われています

逆に2度以上登る奴は、
山に魅入られた、家庭を顧みない奴という事でしょうかね?
それも、嫌がられたみたいです

まあ、今は標高2450mの室堂まで、バスで行ける時代ですから
15歳の立山青年登拝も、小学6年生、つまり12歳に引き下げられて
小学6年生になったら男女ともに「立山」に、登るのですけどね

信仰の「立山」は、青年登拝と言う形でも
富山県民に、昔から、密着した山であったのです
でも、今は「2度登るもんだら!」が多いのでしょうけどね

富山県民の言うてか、ここで言う「立山」は「雄山」ですね
古い地図には「大汝山」なんて、存在せず「大汝の峰」
つまり「立山(雄山)」に登るための、稜線とみなされていましたので・・・
国土地理院が、峰を山にするまでは、「立山」と言えば「雄山」だったのですよ

この「○○☆○○」のある「岩峅寺」
この「岩峅寺」から、「立山信仰」の地になります

向かいの「雄山神社 前立社壇」で、参拝をし
大きな湯立の釜を使った、湯立の神事を行い、身を清めて、立山に入ることになるんです
今、向かいの雄山神社さんには、湯立の釜が1つしか有りませんが、かつては「雄」と「雌」つがいで2つあったそうです

常願寺川が、氾濫した際に、1つは流されてしまって
途中、現在の地名で言う「釜ヶ渕」に流れ着いて、また流されて行ったとか。ちなみに、今、残る物は「雄」の釜ですね

釜だけでなく、宿坊もいくつか流されてるみたいです
あまり知られていませんけど、常願寺川の川原の中に、川より少し高くなってる場所があるんですよ

今は、雄山神社さんの神事に使う茅の茅場であり、地元の人が、畑を少しやっていますけど
そこが、かつての岩峅寺の宿坊の一部があった場所ですね
岩峅寺の宿坊は、雄山神社「東神門」を通り過ぎたところにも、いくつもありますが、そこにも、あったそうです

川原を散歩してて、不自然に綺麗に上にありますからね
ただの畑にしては、おかしいとは思いましたけど、聞いてなるほどです

「立山」には、死者の魂が昇ると教わってきましたが
死者の魂と生きながらにして、再会できる場所でもあるのです
日本三霊山であり、日本三霊地ですからね

ところが、異色と言ってもいいのが
死者の魂に、第三者を介さずに、自分が対面できるんですよ

岩峅寺より、立山に入ることで、人は生きながら魂として入るのだそうです
そのために、湯立の神事で、魂を清めるのでしょうね

魂として「立山」に入り、立山の地獄・極楽を体感し
直系の先祖の魂と再会して、雄山に登り、「雄山神社峰本社」でお祓いを受け
身も心も、生まれ変わった自分として俗世に戻る

「立山」に登る事は「雄山神社 峰本社」で、魂の浄化と生まれ変わりをするなので
県外の人が言う「富山県民の立山に登るって言ったって、雄山だけじゃないか」の批判は的外れ
立山に登るは「立山登山」と言わず「立山登拝」と言う事からも、わかるんじゃないかな?

そして、その魂から、俗世の自分に戻る地も「岩峅寺」になりますね

こういう形の信仰ですから、各地に「雄山神社」を作るのは趣旨が違うので
立山にお越しいただいて、魂の生まれ変わるという事を、体感しなくちゃいけないので
「雄山神社」は、この立山町にある3社のみ、三位一体の神社になります

そういう思想に、開祖が16歳で立山を開山した故事が結びつき
大人になる、元服の一つとしての「青年登拝」が、誕生したのでしょうね

そして、この岩峅寺が、まさにその入口でしたから
かつての信仰とは、違う意味合いでお越しになられる方も多いと思いますが
そういう土地、風土、癒しのパワースポット「雄山神社」の神様の懐に抱かれて
心と体を温め、癒し、再生する場として「○○☆○○」をよろしくお願いします

なんか、ある口コミサイトの、口コミによりますと
座敷わらし氏と思われるものを、「○○☆○○」で見たとか・・・

直接お会いしていないので、てか、その人しか会ったと言うお客様はいないので、真偽は不明ですが、
あそこまで断定的に書き込めると言う事は、もしかしたら、座敷わらし氏本人かも知れませんね
どこかで1度、面識があったのかな?本当に他に聞かないし会わないので・・・

まあ、一時的な湯治か何かの逗留でしょうが、幸運や福を運ぶ氏のお力を借りて
「○○☆○○」も、さらに成長・発展できるといいなあと思います

日本三霊山で、三霊地の「立山」の開山伝説の地で、
信仰の地「立山町岩峅寺」そこに建つ「雄山神社 前立社壇」

村の鎮守の神様が「立山」の神様と言うこの地で、
みなさんの心と体を元気にすべくお待ちしています

〈ここまで〉

おまけの過去にFacebookに投稿していた文章です!

〈ここから〉
【6年前】

1月15日は小正月です
7日までの松の内を「大正月」と呼ぶのに対し、15日を「小正月」と言うのですが
松の内に忙しく働いた主婦をねぎらう意味で、「女正月」という地方もあるそうです

古くはこの小正月までが松の内だった(この日まで門松を飾った)ものが、
江戸時代に徳川幕府の命により1月7日の大正月までとされたのですが、関東地方以外には広まらなかったそうです

だからなんでしょうね!
我が家で11日に鏡開きするのは商店や企業で、一般の家は、15日までと言ってるのは・・・
と、言うわけで、自宅の正月飾りなどは15日に片付けられました

僕の部屋の小さな小さな門松と、小さな小さな鏡餅も、もちろん・・・

小正月という事で、14日を大晦日と同じように過ごす人も居るらしいですが
まあ、良いと言う事は、やっておくと良いなあと思いながらも、小豆粥を食べるわけでもなく
正月飾りを片付けるだけの、自分に、ちょっと寂しいものも感じたりしているのですが・・・

寂しいというと、かつては小正月に元服をしたから「成人の日」は1月15日だったのですが
ハッピーマンデー法で、1月の第2月曜に移動したら、1月15日に「成人の日」が来る事は無くなりましたよね

ところが、ご安心召されよ
毎年言ってる気もしないでもないですが、1月15日は「アダルトの日」なのです

1947(昭和22)年のこの日、日本初のヌードショーが開演されたからだそうです

東京・新宿の帝都座の5階劇場で、額縁に裸体の女性が現れる「額縁ショー」が上演され、人気を呼んだそうで
裸体画に見たてたもので、出演した女性はただじっとしているだけだったという事です

昨年、お越しいただいたお客様の中に実際にこの「額縁ショー」を見た人が居られて
カーテンが閉まっているのが開くと、名画のポーズの額縁の中で裸体の女性がいて、またカーテンが閉まって
再び開くと、また違う女性が違う名画のポーズでいてみたいな感じだったみたいですね

ただ、ジッとしているだけで、動くわけでも、全裸というものでもなかったらしいのですが
そういう話をしだすと、違う方向に暴走しますので、やめておきますが、このショーは当時は衝撃だったみたいですよ
その人と、意気投合したのは、最近の成人向けの写真なんかは、趣きや色気が足りないってことで・・・(笑)

(It is small New Year holidays on January 15.
15th is called "Kosyougatu" (small New Year holidays) whereas I call New Year week until 7th "Daisyougatsu" (the New Year's week),
In a meaning to thank the housewife who worked on a pine busily for her service, there seems to be the district called "Onnasyougatsu" (woman New Year holidays).

The thing that it was old, and these small New Year holidays were New Year week (I displayed New Year's pine and bamboo decorations until this day),
It was said until the New Year's week of January 7 in the Edo era by a life of Tokugawa shogunate government, but did not seem to spread out any place other than the Kanto district.

Therefore!
It is ... that it is a store and a company to make the cutting of the New Year's rice cake in my home on 11th, and the general house says until 15th
I said so, and the decorations were put in order on 15th for home New Year holidays.

Of course the small small New Year's pine and bamboo decorations of my room and the small small round mirror-shaped rice-cake are ..., too

Concerning small New Year holidays, there seems to be the person spending 14th in the same way as the last day of the year,
Oh, I do not eat azuki-bean gruel while thinking that it is good that it should do it to say,
To oneself who only puts decorations in order for New Year holidays, the slightly lacking thing feels it,; but ...

When it was said that I was lonely, it was January 15 in "Coming-of-Age Day" because I had the ceremony of manhood once for small New Year holidays,
When it moved by the happy Monday method on second Monday of January, it disappeared that "Coming-of-Age Day" came on January 15.

However, be caught relief.
I feel like saying, but January 15 "is a day of the adults" every year.

This seems to be because the on that day first Japanese nude show of 1947 (22, Showa) years was opened.

"The Gakubuchi (frame) show" that the woman of the naked body appeared on the frame in fifth floor Theater of the Teito-za
 of Tokyo, Shinjuku was staged and seemed to call for popularity,
It means that the woman who appeared on a nude painting with the thing which I chose only merely kept still.

It is really a person to see this "Gakubuchi show" in a visitor for coming over last year and,
When it is open that a curtain closes, there is the woman of the naked body who did the pose of the masterpiece in a frame, and a curtain closes again and,
It seemed to be the different feeling that a woman wanted to be with the pose of the different masterpiece again when I opened again.

But I only kept still and worked and did not seem to be what's called complete nudity either,
Because it drove recklessly in the different direction when I began to have such a talk, I stopped it, but this show seemed to be a shock in those days.
When the photograph for recent adults does not have attraction and sex appeal, it is a thing that found a kindred spirit in the person; ... Lol)

〈ここまで〉

おまけのおまけの過去にFacebookに投稿していた文章です!

〈ここから〉
【4年前】

よく親父が言ってた我が家の三訓
一、ホラとラッパは吹きません!
一、己の善と他人の悪は語りません!
一、嘘と坊主の頭はゆいません!

俺守って無い
親父はそこそこですね!
てか!これってマジ?

〈ここまで〉

もうおまけなんて要らねえよ!って言わないで的な過去にFacebookに投稿していた文章です!

〈ここから〉
【4年前】

僕が中学生・高校生の時に学校に行くふりをしてサボっていたときに親に学校から連絡があっても親が探しに出れないときに近所の知人が探しに出てくれてたらしい…
知らなかった!
浅岡の信ちゃん!ありがとうございます!
元気にしてる?

〈ここまで〉

てか、これ中学だとこの地域はこの学校みたいな感じですけど
高校になるとそれぞれ違うのに、「お宅の学校の○○科のあっきぃ君が・・」
みたいな感じで電話掛かって来てるらしいけど、後で聞いてそれなら学校じゃなくて家に掛けろよ
てか、田舎のネットワークっておっかねえと感じた僕なのでした・・・

今日も1日始まりました!
みなさんにとって今日と言う1日が
充実した素晴らしい希望に満ちた輝ける笑顔溢れる1日になりますように・・・
心と体の健康管理、交通安全、火の用心、暴飲暴食に充分お気をつけくださいね!

それでは・・・
































どろん。