大阪の桜ノ宮高校生が体罰が原因で自殺したと問題になっています。都島区は仕事のエリアでこの高校近辺にも何軒かお得意さんがあり週に何度か前を通りました。確か元阪神の矢野捕手の出身校だったと思います。昔から公立校では珍しく運動クラブの強い高校でした。かといって学力的にもそれほどレベルも低くは無かったと思うのですが最近はどうか分かりません。体罰。私が学生だった頃は「先ず肉体よりも精神」という風潮があって当然「体罰」らしき洗礼も何度か受けた記憶があります。でも今になってそれがいくらかでも私の精神形成に役立ったとはどうしても思えない。逆に忌まわしい記憶となって残ってます。それは当時から好ましく思ってなかったので自分たちが先輩と呼ばれるようになった時、同じ学年の仲間と話し合って下級生に体罰と呼ばれるような行為はやめよう と話し合ったことを覚えてます。その結果、後輩達が特に弱くなったとは思いません。体罰。「愛の鞭」なんて誰が言い出したのか知りませんがそういう言い方をするといかにも過失にたいして罰を与えている。結果本人の為にと錯覚するのでしょう。でもつまるところは「暴力」。以前よく問題になった「いじめ」と変わらない。それにしても「いじめ」の時も思ったのですが教育委員会。そして学校。今回は公立校。職員は公務員です。この人達の自己弁護。無神経さにあきれます。教師は「聖職」だなんていいませんがせめて普通の社会人としての対応が出来ないものかな?」
年が明けてもう1週間。正月の間にずっとやりかけになっていた会社の帳簿整理。決算書類の作成をと一応机の前には座るのですが例によって30分と続きません。そして思うことといえば縁起でもないと言われるかもしれませんが寿命。安楽死。延命・・・なぜかそんなことばかり。とっくに答えを出したことだと思っていたのが最近現実味を帯びてきたのか考え方が変わってきています。
寿命。これまでは機械でいう耐用年数という風に考えてました。でも例えば心臓。私の脈拍は100を超えます。普通の人の倍。普通100まで生きるように作られているのなら私は50でスクラップ。そう考えると現在はおまけで生きてることになる。
延命処置。10年ぐらい前から「延命処置拒否」のカードを持ってます。でも最近になって延命処置の線引のようなものを考えるようになりました。当初考えていた延命処置といえばチューブにつながれて意識もなく寝たきりでただ、生命を維持するだけ、そんなイメージでした。今、おふくろの病院で胃ろうをしている人は入院患者の半数を占めます。でも病棟で見るその光景は口から食事が出来ないというだけでごく自然で点滴の延長のような感じ。これも少し前なら「延命処置」と言ってはばからなかったと思います。
安楽死。これもまた難しい。一般的に私たちが言ってる衰弱死。聞こえはいいけど早い話が「餓死」と言うことになる。その時になってみないとどんな感じかわかりませんがよく冬山で遭難して「眠るように死んでいく」というのとはちょっと違うような気がします。病院で最後を迎える人が大半を占めるといわれる今、そのときになって迷わないようにと思うのですがこれはなかなか難しい。そう考えると案外「認知症」っていいかな?と思います。
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