目標が達成されたとき「幸せ」という人がいます。そうでしょうか?あれが欲しいこれが欲しい、ああなりたいと何かを追い求めているのは欲望を満たそうとしているだけなのではないでしょうか。3年後にはこうなっていて、10年後にはこうなりたい。晩年はこんなふうに過ごしたい。そして、その通りに事が運ぶことが幸福だと思い込み、その通りにいかなかったら「失敗」だったという。
人生はコントロールできるものではありません。「仕事」。思うようにいくことは少ない。考えて工夫して、それでも駄目だったら仕事代えたらいい。世間で言うほど無いわけじゃない。欲張らずに探せばあります。「結婚」。いつまでも優しい夫でいて欲しい。素晴らしい父親でいて欲しい。完璧な妻や母親でいて欲しい。そんな願いが叶うはずはない。もともと違う環境で育ち価値観も違う。同じに思うのは一時的な錯覚。自分の思うようにコントロールすることなど不可能です。最近はあまり見なくなりましたが離婚会見での定番文句「性格の不一致」。性格なんて合う人は滅多にいないと思います。合わないから惹かれるんじゃない?男と女って違うから惹かれ合う。(オカマさんは別)それをどうしても自分の思うがままにしようとするなら、一生結婚と離婚を繰り返すしかありません。
人は、将来の在り方を全て見越せません。相手が変わってくることもあるし、思いもよらなかった部分を見せることもある。予測がハズレることもある。でもハズレることで逆に視野というのは広がり世界も広がる。「幸せ」のバージョンが増える。
全く予測通りに人生が進んだとしたら、こんなにつまらないことはないでしょう。予定通りの職に就き予定通りに結婚して予定通りに子供が二人生まれる。予定通りに出世して、最後は予定通りに死ぬ。それが幸福な人生と言えるでしょうか。ついでながら私は親兄弟や縁者は看取りたいと思いますが自分の死は誰かに看取られたいとは思いません(エゴ?)誰もいないところで静かに終わりたい。でもそれも解らない。案外、身元不明事故死。なんて事になるかもしれません。でもそれもまたよし。 釈迦の言葉だったと思うのですが「人生は思ってもみないことの連続。だから生きていくことは苦である。」と。・・・それにしても「苦」が多い今日この頃、なんとかならんかいな?夏バテの身に堪えます。