朝から怪しいなと思っていたのですがショーケース搬出中に突然の大雨、びしょぬれです。一旦帰宅。上から下まで全部着替えて再出発。今度は壊された自販機のスイッチパネルを交換している時にまた雨。途中で投げ出すわけにもいかずまたびしょぬれ。再度帰宅して着替え。出かけようと思ったらまた雨。ばかばかしくなって午後から銀行に行っただけでお休み。気づいたこと。あの雨の中でも蝉の声が聞こえました。蝉は何年も土の中で過ごし、地上で過ごす期間はごくわずか。そのわずかな期間。雨の中をも惜しみ精一杯生きているようで普段はただうるさいとしか感じないのが妙にいとしく思いました。
蝉の抜け殻を「空蝉(うつせみ)」と呼びますが、もともとはこの世に生きる人という意味の「現身」が語源とかで、現世という意味も持ちます。蝉の儚さ、空蝉の
すぐに壊れてしまいそうな危うさは、まさに「人」であり「世」であるような気がします。
すぐに壊れてしまいそうな危うさは、まさに「人」であり「世」であるような気がします。
儚い世の中ですがとにかく生きていきましょう。そうでなければ何も始まりません。
「とにかくに越えてをみまし 空蝉の 世渡る橋や夢の浮橋」 樋口一葉
(今日はきれいに決まったね!そう思いません?)