先週の日曜日。NHKで『無縁死3万2千人の衝撃』というドキュメントが放送されていました。ご覧になった方も多いと思いますが3万2千という数字。以前取り上げた自殺。自死の人数にも匹敵します。この国はなんと寂しい国なのか?などという気はありませんが先ずその数の多さに驚きます。そしてそれはこれからどんどん増える傾向だとか?ここでいう「無縁」とは夫婦、子供達や兄弟親類等いわゆる血縁者のことを言うのだと思うのですがよく引用する「あいだみつを」氏に言わせると「父と母で二人 父と母の両親で四人 そのまた両親で八人こうしてかぞえてゆくと 十代前で千二十四人 二十代前ではなんと百万人を越すんです。過去無量のいのちのバトンを受けついでいまここに自分の番を生きている。それがあなたのいのちです それがわたしのいのちです」それが自分の番で終わる。これは私を含めた日本人が持つ仏教的思想。追善供養もない。供養って亡き人の成仏(仏に成る)を祈ることだと思います。だから成仏できないでしょう。だったら西洋ではどうなのだろう?英語に「無縁仏」はありません。キリスト教に「仏」は似合わない。彼らは死を主の下への旅立ちと捉えているのではないでしょうか?すでに行き先は決まってる。後のものが祈ったり拝んだりしてどうこうできることではない。人は全て神の子なのだから。仏教。神道。その道の熱心な信者さんに言わせると『何をいい加減なことをいう!』としかられるかもしれませんがそんな風に思ってます。で、これを自分に当てはめて考えると・・・どうなのだろう?誰も知らないうちに死んで行き、誰にも見送られることなく昇華していく。そして盆も彼岸もなく、すぐに忘れ去られる。やっぱ。寂しいかな。だったら許しを乞うて「神の御許に」?さてそれもまた急に受け入れてくれるとは限らん。・・・せめて友達たくさん作っておくことにしよう。