Photo_2 お父さんが急死された方。お葬式には出席できなかったのであらためてお悔やみをと思っていたら「一緒に食事を」とお誘いがあり厚かましく行ってきました。思いの他明るく振舞っておられたようですがこの後誰もいなくなった時、寂しさが一気に押し寄せてくるのではないかと気になります。全ての人は人は生きている限り別れを経験します。これはこの世に生を受けたものの宿命。問題はそれをどういう状態で迎えるか。どう乗り越えるか。これはその人の生き方に集約されます。「生き方上手」にあこがれます。ああしてあげれば、こうしてあげれば。全て出来なくなってから思う事。多分いつまで経っても出来ない。どれだけ楽しく過ごして思い残すことはないという人でもどれだけ人を楽しませたか?といわれると悔いの残らない人はそうはいないと思います。ちなみに私は「死ぬ時も自分で選べたらいいな」と思ってますがこればかりはなかなか・・・
「死のうと思っていた。今年の正月、よそから着物一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色の細かい縞目が織り込まれていた。
これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。」     by太宰治