先日母の顔を見に行った時、目にした看護日誌。それとデイの介護日誌。どちらも大判の手帳ぐらいの大きさ、以前このブログでも介護日誌を取り上げたことがありますがウチの事業所の日誌より幾分小さい。開けてみると簡単に母親の様子が書き込まれています。仕事が書き込む側の立場なので書いている人の様子が頭に浮かびます。「わりと簡単に書いてはるなぁ」「もうちょっと細かく書いて欲しいなぁ」利用者の家族として見る日誌。面白いと思ったのは利用者側からの書き込み欄。僅かなスペースですが空欄を作ってあります。これはウチの日誌にはありません。いつだったか利用者さんのお父さんからメッセージを頂いた事があります。ほんの一行ほど。日誌の余白に。それを見た時、非常に嬉しかったのを覚えています。丁度子供の頃テストの回答をもらった時赤ペンで「よくがんばりましたね」と添え書きしてあった時のような気分。「手を抜けないなぁ」と思いました。在宅の場合基本的に一人仕事。誰からも評価されることはありません。障害を持ってる人や認知症の人も対象です。ほんの数日前のことを覚えてない利用者さんもおられます。日誌、事業所に持ち帰っても殆どが何の反応もありません。本当に見ているのかな?と思う事も度々あります。本来日誌は情報を共有するためのもの。それに基づいてケア内容を検討する事もある。大いに活用すればいい。それはそれで大事な事だと思います。でも情報だけでなく意志や感情も伝わったらもっといいケアが出来るとも思う。