その‘洗練‘された言葉遣いと‘立ち居振る舞い‘から関東人と思われているでしょうが、私。何を隠そう、生まれも育ちも大阪なんです。(知ってたぁ?)小学校は西天満。天満の西です。(当たり前か)もう廃校になりましたが隣の学区が曽根崎。北天満もあった。立地環境が梅田や中ノ島に近く同級生は繁華街の飲食店、乾物問屋のクソガキと弁護士、検事、警察(裁判所、拘置所が近く)の子供というやわらかいのと硬いのとが入り混じったけったいな土地柄でした。
オヤジも脱サラの草分けみたいな人でちいさな飲食店やってましたから私は前の方のグループに属します。(理知的で無いほうです)中学は菅南。天神さんの南やから・・・(菅原道真)これも廃校。当時としてはハイレベルで越境入学して来る子供が多かった。私はたまたまその学区という事で通ってただけで云わば原住民です。(インディアン)「頭脳的貧富の差」も味わいました。ただ、どちらの「部族」とも偏らず結構仲良く遊んでました。(日和見主義的バランス感覚はあった)当時の遊び場は中ノ島公園から梅田の地下街・・・今、同級生は弁護士、検事。警察。ラブホ。風俗。飲み屋に喫茶。スナック。レストラン。パチンコ屋。貸しビル屋。ついでにサラリーマン・・・なんでもあり。同窓会。行きます。若い時はコンプレックス感じたり密かに優越感持ったりしましたけど・・・(結構見栄っ張りで背伸びばっかりしてました)・・・それぞれに「浮き沈み」があって最近はそういう事、考えなくなり「素」に近い状態で話せるようになりました。
続きはまたそのうち・・・書くネタなくなったとき