昨日は朝は遅起きで、カパの時間帯に起きたせいでだるさが強く朦朧としながら朝ご飯を食べて、やっとの思いで部屋中掃除したけれど、

今朝はスッキリ目覚め、身体が軽く、さらにスッキリ便も出た。

朝ご飯を食べて、メールやメモの整理をしたあと、軽く瞑想する。

リビングの床に横たわり、窓を全開にし、風の流れを肌で感じながら。

心は鎮まり、ゼロの状態に近づく感じ。

色んなことにとらわていた自分に気づく。

そうだ、結婚も、出産も、別にしなくったっていいし、急ぐことない。

私が本当に望んでいることは?

私は何も必死で手に入れたいものなんてないんだ。

私は、ただ、この瞬間瞬間の自由が欲しいだけ。

そう、私はいつだって、私でありさえすればいいのだ。

何も怖くないし、何もいらない。

何もいらない、というのは語弊があるかな。

でも、私には自由があるのに、それを謳歌していないことも気づく。

私はまだ自分を閉じ込めている。

何を我慢する必要がある?

我慢していたわけじゃない。

私はいつも私を楽しんでいるの。

でも、ここから脱出したいって、言う。

心の奥は、もっともっと自由を渇望している。

もっと、殻を破って、飛び出したい。

今にも満足している。

そう、とても感謝している、すべて。

でも、ここじゃない。

今のこの瞬間は、自由。

でも、もっともっと拡がっていくことができる、それを望んでいる。

今は、ここにいる。

それは、どうしようもなく必然。

そして、今すべきことを、私はしている。

本当にしている?

している。

でも、未来が見える。

そう、それはもうだいぶ前から見ている。

もうすぐ、そこへいくのかな?

わからない。

そう、未来は私が決めることじゃない。

未来はもう用意されているのかな。

わからない。

でも、私の見ているものはなんだろう?

わからない。

ただ、わかるのは、ちゃんと進んでいること。

私の命は、ちゃんと知っている。

信頼して。

そう、いつだって、今この瞬間を信頼するだけ。

だから。

何も望むものなんてない。

希望、そう希望がないと生きていけないと思った。

でも、希望も絶望もない。

それが私。

私にあるのは、自由。

今、私の中に確かにあるもの。

そして。

ある日、天から舞い降りた天使に出会ったとき

希望が生まれるのだろう。

わからない。

今は、私は私であることだけで、精一杯。

私には、成し遂げたいことも、叶えたいこともない。

そう。

でも、以前の私と少し違う。

去年は、生も死もどちらでもよかった。

むしろ、死を夢見た。

それは私にとってはネガティブなことではなかった。

これ以上の歓びも至福もないほどに幸福だったから。

今は、生を選ぶ。

ちゃんと生きることに専念している。

そう思えることは、嬉しい。

私は生きている。

ただ、それだけ。




人生の目的は、わかっているつもり。

でも、そんなものは自分で取り繕ったものかもしれないし、本当に魂の声なのかもしれないし、どちらかはわからない。


ただわかるのは。


前に進むための動機がある。


生きるための動機があるんだ。


それはとても強固に愛と結びつき、愛そのものとしてある。


きっとあと数か月で、何かが確実に変わる。


それは私が望むと望まないと関わらず、私にとって最高のシナリオになるはず。


私にはビジョンがあり、ビジョンがない。


私には希望があり、希望がない。


私にあるのは、自由、そして歓び。


今、望むものがあるとすれば、精霊たちと、恋人と、戯れること。






私は怠惰な人間なんです。


さあ、明日からも楽しもう。






aki