冬になると、エンヤをよく聴く。


冬の冷たく乾いた空気や、澄んだ蒼空も星空も、暖かい暖炉の炎や入れたての朝のコーヒーや、セーターの匂いや毛布のぬくもりなんかに、エンヤの音楽はとてもよく似合う。


ちょうど19歳の大晦日の夜、神社に向かう彼の車の中でエンヤが流れていて、あの神聖で大切な時間とエンヤの音楽があまりにもぴったりだったので、私は心の中で一人歓喜していた。


神社の鐘の前で、周りにいた人たちとカウントダウンして、私達は短いキスをした。





あれからいつの日か彼と別れて、私はエンヤが聴けなくなって、CDは捨ててしまった。



それから月日がたって、いくつか恋をしては終わり、一人でいることにも慣れて、自分の人生の中に穏やかさを見出した時、私は再びエンヤを聴いた。


あの19歳の大晦日の日に聴いたときのように、彼女の音楽は変わらず神聖で美しかった。


私はもう二度と聴くことができないと思っていたエンヤの音楽をもう一度愛することができるのを嬉しく想った。


エンヤの音楽は、それはそれは壮大な大自然の中で子どものように走ったり寝転んだりしているかのように、私の心を解き放った。


あるときは黄金色の大草原の中で走り、あるときは大海原に漂うような気持ちになる。


心の奥深く深くへと自分を誘い、そしてすべてを許し受け入れる。


そんな気持ちになるんだ。


自分の世界と、エンヤの世界が融合して、地球に抱かれているような気持ち。


大きなものに、身をゆだねる。


それが心地よくて、エンヤを聴く。






実家に帰ったとき、母に


「あの頃に聞いたエンヤのCDってある?そういえば、どうしてエンヤを知ったの?」


と聴いたら、母は


「あれはトモ君のCDだったんだよ。」




てっきりあのCDは母のだと思っていたから。


スカを死ぬほど愛していて、彼は自分のライフスタイルまでモッズスタイルというのをしていたから、彼がエンヤを買ったとは思っていなかっただけど、そういえば音楽に詳しい彼ならエンヤの音楽性や技術のすごさを知っていて当然だったんだ。


すっかり忘れていたけど、彼はとても音楽を愛していた人だったんだ。



もう何もかも忘れたふりをしていたけれど、心の奥底にあった彼に対して抱いていたあらゆる感情が、すべて綺麗に流されていくような、そんな瞬間だった。



もう二度と会わないかもしれないけれど、もし会えたら笑顔で「ありがとう。」って言えそうだなって。


きっと会わないだろうから、心の中で、「ありがとう。」って言ったよ。


未練やわだかまりがあったわけではなかったけど、きっと何か後ろめたいものがあったのかもしれない。


過去はどこにもいかないし、消えたりもしない。


過去に縛られもしないし、執着もしない。


だから、ちゃんと受け入れる。


それができないと、前に行かない。


エンヤが繋いでくれた。



そして、本当にこれで「さようなら。」












そして、今の大切な人に、もっともっと「ありがとう。」って言いたくなりました。









aki