2014年の国際研修でバングラデシュ人の二人の研修生のうち一人が健康上の理由(から精神的な理由になり)で研修半ばで帰国しましたが、残りの一人では心もとないということで、追加でたった一人研修生がきました。
それが2014年の11月のことです。(国際研修が終わってからわずか2週間)
講義もマンツーマン
Mr.Azad アジャッドさん。彼はダッカの病院の手術室の助手をしていた人だそうで、上の人からの命令でタイでの研修に送り込まれてきたのでした。
英語もあまりできなく、そして生まれて初めての海外。本当に心細かったと思います。
そして、9人兄弟の家庭で育ち、今でもダッカの実家では大家族と一緒に暮らしているという彼がいきなり異国の地でコトバも通じない、食事も全然違う、友達もいない、という環境でやはりというかなんというかホームシックになってしまいました。
そもそも、財団の研修生用の宿舎が10部屋以上あるようなところで彼一人が生活しているのです。夜中まで人が途絶えず始終にぎやかな環境にいた彼にとって、耐えきれない静寂だったようで。
朝、研修が始まっても、どんよりとした顔で
「おばけに首をしめられた。。。。」と泣きそうになりながら説明しています。(実際英語が上手でないので簡単な単語と後はほとんどボディランゲージですが)
その話を聞いたドクターが「あの誰も居ない静かな研修生用宿舎がダメなら、財団スタッフ用の空いてる部屋に移るといい」とアイディアを出しました。
財団の単身スタッフが(たまに家族で住んでる人もいますけど。1ベッドルームで)住んでいる10部屋ならびの宿舎の、真ん中の部屋に移ってもらうことになりました。ここに移って、周囲に人の気配がするというので多少落ち着いたようではありました。
そして、まだ研修が始まって一か月経たないタイミングでモバイルユニットがありました。行ってもまだ作れるほどではないのですが、だからといってもぬけの殻の財団に残しておくのもますます鬱になりそうなので、モバイルユニットに一緒に参加してもらいました。これが、四六時中誰かと一緒に過ごすことができるので彼としてはとても嬉しかったようです。(本当に孤独が嫌いな人のようで)
いろんな作業も嬉々としてこなしてくれました。
直接の義足製作ではなく、アシスタントとしていろんな人の手伝いをしてもらいました。
一応記念に、モバイルの看板と撮影。
タイ語でしかも仏暦ですが、2014年11月23-28日 ナーン県プア病院にて義足無料提供モバイルユニットのようなことが書かれています。
そして、忘れてはならないのは、このチャイシーさんの存在。彼がいなかったら研修生アジャッドさんは無事に4か月の研修を終えることができなかったと思います。
というのも、初めの一か月で激しくホームシックになった彼は「この仕事は僕には向いてない。早く国に帰りたい」と訴えてきたのです。ホームシックだけであればなんとか励ましようがあると思ったのですが、この仕事が大好きな私にとって「この仕事は僕の仕事じゃない。僕は本来手術室の助手なんだ」と言い切った彼にカチンときてしまいました。
そして、本気で「じゃあ帰れば」と言ってしまったのです。
上のドクターにもその旨を伝えて「私はこの人の研修を続けたくありません、やる気のない人は送り返して下さい。」とも言いました。
ドクターは「うちは研修を受け入れる場であって決定権は全くない。研修生に、彼の上司へ宛てて訴状を書かせてメールでバングラデシュの病院に送りなさい。」と指示を出し、その通りにしましたが結局最後までその返事は来ることがありませんでした。
そうこうしているうちに、ダイレクターがチャイシーさんに「どんなことをしてもいいから、この研修生がホームシックでなくなるように、なんとか頑張ってちょうだい。そうしたら来年の給料アップしてあげる」と言って、チャイシーさんが「本当ですか!それなら頑張りますよ」と張り切った次第です。
給料アップ云々はおいておいて、本当にチャイシーさんの優しい人柄に随分助けられました。
ムスリムであるアジャッドさんが「市場で売ってる鶏肉はハラールじゃないから、活きた鶏を買ってきて自分でしめたい」と言えば「おう!じゃ活きてる鶏を売ってるところに連れて行ってやるよ!」と連れて行ってあげたり。戒律に厳しいムスリムは豚肉でなければどの肉でもいい、というわけではなく、屠殺の時にアラーにお祈りをささげたお肉(=ハラール、食べることが許されているもの)でないといけないと言います。
普段はしぶーい顔をしているワチャラ先生も、彼を励ますために「患者さんがこの義足を『すごくいい』と言ってるよ。君は素晴らしいテクニシャンだ!一緒に記念撮影をしよう。ほら、指をあげて!」とべた褒め状態でした。
12月、定番のドイステープにも連れて行きました。
そのさらに上に行ったモン族の村、ドイプイにも
お寺よりも、自然の景色がきれいなドイプイの方が気に入ったらしく
「ここはいいねぇ。この男の子たちと写真撮って。こっちの花とも撮って。バングラデシュに帰ったら、家族に見せてあげたい。」とにこにこしていました。
眺めのいいカフェでコーヒーを飲みならひと休みしていると
「ここはすごくいいところだね、連れて来てくれてありがとう」とお礼を言われました。
こういう感謝の言葉が、何よりのねぎらいになります。
研修中、いろいろなことがありましたが端折ると、最終的には無事4か月の研修を終えることができたのでした。(最終日に遅刻してきたりと、最後までビックリですけど)
それが2014年の11月のことです。(国際研修が終わってからわずか2週間)
講義もマンツーマン
Mr.Azad アジャッドさん。彼はダッカの病院の手術室の助手をしていた人だそうで、上の人からの命令でタイでの研修に送り込まれてきたのでした。
英語もあまりできなく、そして生まれて初めての海外。本当に心細かったと思います。
そして、9人兄弟の家庭で育ち、今でもダッカの実家では大家族と一緒に暮らしているという彼がいきなり異国の地でコトバも通じない、食事も全然違う、友達もいない、という環境でやはりというかなんというかホームシックになってしまいました。
そもそも、財団の研修生用の宿舎が10部屋以上あるようなところで彼一人が生活しているのです。夜中まで人が途絶えず始終にぎやかな環境にいた彼にとって、耐えきれない静寂だったようで。
朝、研修が始まっても、どんよりとした顔で
「おばけに首をしめられた。。。。」と泣きそうになりながら説明しています。(実際英語が上手でないので簡単な単語と後はほとんどボディランゲージですが)
その話を聞いたドクターが「あの誰も居ない静かな研修生用宿舎がダメなら、財団スタッフ用の空いてる部屋に移るといい」とアイディアを出しました。
財団の単身スタッフが(たまに家族で住んでる人もいますけど。1ベッドルームで)住んでいる10部屋ならびの宿舎の、真ん中の部屋に移ってもらうことになりました。ここに移って、周囲に人の気配がするというので多少落ち着いたようではありました。
そして、まだ研修が始まって一か月経たないタイミングでモバイルユニットがありました。行ってもまだ作れるほどではないのですが、だからといってもぬけの殻の財団に残しておくのもますます鬱になりそうなので、モバイルユニットに一緒に参加してもらいました。これが、四六時中誰かと一緒に過ごすことができるので彼としてはとても嬉しかったようです。(本当に孤独が嫌いな人のようで)
いろんな作業も嬉々としてこなしてくれました。
直接の義足製作ではなく、アシスタントとしていろんな人の手伝いをしてもらいました。
一応記念に、モバイルの看板と撮影。
タイ語でしかも仏暦ですが、2014年11月23-28日 ナーン県プア病院にて義足無料提供モバイルユニットのようなことが書かれています。
そして、忘れてはならないのは、このチャイシーさんの存在。彼がいなかったら研修生アジャッドさんは無事に4か月の研修を終えることができなかったと思います。
というのも、初めの一か月で激しくホームシックになった彼は「この仕事は僕には向いてない。早く国に帰りたい」と訴えてきたのです。ホームシックだけであればなんとか励ましようがあると思ったのですが、この仕事が大好きな私にとって「この仕事は僕の仕事じゃない。僕は本来手術室の助手なんだ」と言い切った彼にカチンときてしまいました。
そして、本気で「じゃあ帰れば」と言ってしまったのです。
上のドクターにもその旨を伝えて「私はこの人の研修を続けたくありません、やる気のない人は送り返して下さい。」とも言いました。
ドクターは「うちは研修を受け入れる場であって決定権は全くない。研修生に、彼の上司へ宛てて訴状を書かせてメールでバングラデシュの病院に送りなさい。」と指示を出し、その通りにしましたが結局最後までその返事は来ることがありませんでした。
そうこうしているうちに、ダイレクターがチャイシーさんに「どんなことをしてもいいから、この研修生がホームシックでなくなるように、なんとか頑張ってちょうだい。そうしたら来年の給料アップしてあげる」と言って、チャイシーさんが「本当ですか!それなら頑張りますよ」と張り切った次第です。
給料アップ云々はおいておいて、本当にチャイシーさんの優しい人柄に随分助けられました。
ムスリムであるアジャッドさんが「市場で売ってる鶏肉はハラールじゃないから、活きた鶏を買ってきて自分でしめたい」と言えば「おう!じゃ活きてる鶏を売ってるところに連れて行ってやるよ!」と連れて行ってあげたり。戒律に厳しいムスリムは豚肉でなければどの肉でもいい、というわけではなく、屠殺の時にアラーにお祈りをささげたお肉(=ハラール、食べることが許されているもの)でないといけないと言います。
普段はしぶーい顔をしているワチャラ先生も、彼を励ますために「患者さんがこの義足を『すごくいい』と言ってるよ。君は素晴らしいテクニシャンだ!一緒に記念撮影をしよう。ほら、指をあげて!」とべた褒め状態でした。
12月、定番のドイステープにも連れて行きました。
そのさらに上に行ったモン族の村、ドイプイにも
お寺よりも、自然の景色がきれいなドイプイの方が気に入ったらしく
「ここはいいねぇ。この男の子たちと写真撮って。こっちの花とも撮って。バングラデシュに帰ったら、家族に見せてあげたい。」とにこにこしていました。
眺めのいいカフェでコーヒーを飲みならひと休みしていると
「ここはすごくいいところだね、連れて来てくれてありがとう」とお礼を言われました。
こういう感謝の言葉が、何よりのねぎらいになります。
研修中、いろいろなことがありましたが端折ると、最終的には無事4か月の研修を終えることができたのでした。(最終日に遅刻してきたりと、最後までビックリですけど)