「仏法用語を、皆、でたらめに使うようになってきていますから、実に危なくてしようがない」



学会の文献や先生の著作などが、世間で広く多くの方に読まれていたり、学ばれているようで、とても感慨深く、感心させられています。


ただ、創価学会の信奉する日蓮大聖人の仏法は本物の宗教なので、功徳や罰は本当に現れますから、言葉を誤って使ったり、仏法や学会に合ってるからよいと思って使って、根本の教義や宗祖の心に違背してたり、それによって誤った思想を広げることになってしまったり、混乱させたりすることになると、とても危ないです。


ましてや、それらに書いてある悪いことを“わざと”するなんていうことは、治罰があって当然です。


よいことでも悪いことでも、これらに書いてあることに合わせれば仏法を行じていることになる、ということではないです。


おそらく2008年頃から、仏法や我が家の信心などに対する無知や偏見や反発などから、「人間革命」などを元に、我が家に対して、権力を用いて故意に破壊をすることや侵害することを認めたり、迫害が始まったと思いますが、もう本当にやめてください。


例えば、信心してる人には“難”や“魔”が起こるということを知ったことから、人間が故意に信心してる人に対して暴力や侵害やいじめなどをして、意図的に難を与えたり、魔と称して欺いて試したり、何をしてもをいいように思うというのは、悪質な慢心でしかなく、とても恐ろしいことですし、危ないことです。



「仏法の法理は、どこまでも冷厳である。」



東日本大震災、コロナウイルス、物価高騰、能登半島大震災、天候不順など、三災七難も経文通りに起きていて、多くの方が犠牲になっています。


三災七難は正法に背くことと正法を受持する者を迫害することによって起こる災害のことで、民衆の生命が濁り、また正法正師が忘失される時に起こってくるものです。


人間が誤った思想や思考に陥ってしまっていることで、混乱や悪心が増長してしまっていて、いろんな事件・事故も多々、発生して、多くの方が被害に遭ったことと思います。


私だけを社会のシステムから外したり、あらゆる場面で疎外することがよいことのようにされていたり、同じ日本民族間で対立や分断をすることを促進しているような社会になっているのも、魔の所為によるものですし、三災七難の“自界叛逆難(内乱)”が現れている姿です。


自界叛逆難は、仲間同士の争い、同士打ち、自国内の戦争などです。


これだけ人間の法則を崩していて、社会の秩序が乱れて、機能しなくなっていれば、誰もが不安を抱えてしまうのは自然なことで、あらゆる弊害が起きていることと思います。


そのような、仏法とは真逆の“民衆を不幸にする教え”を、さも大聖人や歴代会長が現されているようにして歪めて広めてしまうとしたら、それは道理として、罰は現れてしまうはずです。


宗祖も歴代会長も悲しまれますし、仏法者として憂いて当然の事態です。


私の周りから情報が流出して、そこから誰が考案して始まったのか、それにしても、なぜ、ここまでの社会にしてしまったのか、よくわからないですが、不当な侵害や過度な情報公開までよいことのようにしたり、逆に私は情報を得られないようにしたり、基本的な社会のシステムから外して差別するなど、異常なことは、もう本当に正してください。


軍事国家の教育によって戦争や殺人も平気でするようになってしまったように、根本的な正邪・善悪の判断がつかなくなったり、どうでもよいことのようになってしまったりするなら、誰もが安心できなくなるのも、後々に狂いが生じてしまうのも、当然のことだと思います。


ネット、スマホ、SNSなどが新しく登場した社会、通信や情報、メディアやエンタメなどが優勢になる社会に切り替わる時に、日本はそれらの魔力に負けて、盗聴や監視や情報公開などをしたり、それらを使って人の暮らしや健康や人生、人権や自由や平等など、人間の基本を脅かしてまでゲームやライブをしたり、悪い噂や自分たちに都合のよい情報だけを寄せ集めて、現実的な事情なども知らず、考慮せず、公正な見極めや判断などはせず、個人や一家庭を一方的に徹底悪のように仕立て上げて、世間に吹聴して、国家規模で脅迫して、支配や差別や暴力をするなど、人権侵害や犯罪まで認めてしまって、国家規模で“根本善”から退いてしまったからです。


日本はもうすっかり魔に支配されてしまってるのですね。


だから、人間も世相も悪化が進んでしまって、三災七難も現れています。


第二次世界大戦のときのように、日本中の人たちが、愚かな社会の犠牲者になっていますよ。



「正邪を見極めるべき立場の人間が、確かな見識も思慮もなく、むやみに前例を踏襲したり、多数派に迎合したり、讒言を真に受けたりして、愚かにも、正義の人を憎む、と(日蓮大聖人が)仰せです。


正邪が顚倒(てんとう)する社会。価値観が混乱し、生命尊厳の思想や人間の可能性を開花させる哲学が見失われていく社会。」



「「立正」とは「正を立てる」、つまり、正法の流布であり、生命の尊厳、人間の尊重という哲理を、人びとの胸中に確立し、社会の基本原理としていくことといってよい。そして、その目的は「安国」、すなわち「国を安んずる」ことであり、社会の繁栄と平和の建設にほかならない。」



「傍を好んで正を忘る 善神怒を為さざらんや円を捨てて偏を好む 悪鬼便りを得ざらんや、如かず彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには」
(社会の繁栄、平和を実現するために、さまざまな方法、手段を講ずるよりも、まず不幸の根本原因である、誤った教えという一凶を絶つことが大事だと述べられている御文。)



「汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祈らん者か」

(自身の安心を考えるなら、あなたはまず社会全体の静穏を祈ることが必要ではないのか)



「汝、須く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ」

(あなたは早速ささやかな信仰の心を改めて、速やかに本当に成仏へ至らせる教えである唯一の善い法に帰依しなさい)



「仏法は“おすがり信仰”ではない。最も強い主体性を築く原理を説いているのだ。

自らの宿命を冷厳に見極め、己れの生命の姿勢を転換することによって、人間革命を実現しようとする戦いの哲学なのだ。」



私を盗聴や監視や情報公開などで拘束して、ずっと見られたり聞かれたり知られたりしても、すがられても、何もできないですし、幸せになるどころか三災七難や罰が現れ続けることになりますが、創価学会に入会して(私は教祖ではなく、会員で弟子です)、御本尊を頂いて、お題目を唱えて、大聖人の仏法を実践していけば、誰もが自身の宿命を転換できる生命になることができて、智慧や生命力が湧いて、人間革命できて、確実に幸せになれますよ。


ちなみに、私がこういう立場にされていることというのは“宿命”なのではなく、日本の異常な権力者に“宿命”と称してされている、ただの“暴力”や“人権侵害“でしかありません。


こういうことを“宿命”としてしまうと、“宿命”と称すれば、人を支配して、どんなに悪いことでも、何をしても何をされてもよいことのようになってしまいます。


それは、とても恐ろしいことで、危ないことです。


「あの人の宿命だから、あの人には暴力や人権侵害をしていいんだよ」とか、意図的な強制や圧迫で虐げて「これがあなたの宿命なんですよ」なんてことは、絶対にありません。


そんなことをされてよい人間なんていませんし、絶対にあってはならないことです。


“罰”についても同じで、“罰”は御本尊が現されるものですから、“罰“と称して人間が故意に暴力を振るったり、人権を侵害してよいということもありません。


いずれにしても、それらは仏法でも学会精神でもないです。



「「決して宿命はない!宿命とは、私たちが欲することだ。それはまた、よりしばしば、私たちの意欲が足りないということだ」(ロマン・ロラン)


ロランは、国家指導者や知識人が、“これが運命”とばかり戦争迎合の時流に飲み込まれていく無責任な姿を、断固として拒否したのです。


詮ずるところ、一人ひとりが何をしても無駄だという、この無力感、人間の尊厳性と無限の可能性への無知・不信こそが元凶です。」



「立正安国論には、人々を無間地獄に突き落とす元凶を剔抉して、「如かず彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには」、「唯須く凶を捨てて善に帰し源を塞ぎ根を裁つべし」と破折されています。


大聖人が、鋭く三災七難の「兵革の災」、「自界叛逆難・他国侵逼難の二難」を挙げて警鐘をならされたのも、まさに運命論や無力感を打ち破って、「無間地獄の道」を塞ぎ、人類が悲惨な不幸に転落するのを防ぐためであったと拝されます。」



“一凶”は、“私”や“我が家”ではなく、“私や我が家が社会にされてきたこと”です。


どちらかというと、仏法や私への反発や興味本位の心などからだろうと思いますが、もう本当に正してください。


もし、仏法や学会、あるいは私や他の会員の方などを尊重しようと思って誤ったのなら、とにかく暴力や人権侵害など、人間として根本的に悪いことはやめましょう。


不幸にも、人とトラブルを起こしてしまう個人や問題を抱えた家庭というのは、どこにでもあるもので、誰もがなり得るものですが、法律や人間の良心や理性などの善性があることによって、最低限の尊厳などは守られています。


そのような個人や家庭も、誰もが、そのような不幸な状態から再起できて幸せになれる可能性を持っていますが、私や我が家がされたように“根本善”まで崩されてしまうと、その可能性を潰されてしまうことになります。


絶対に新たな被害者を出すことがないようにしてください。


私にしていることも、早く正してください。


私には盗聴や監視、情報公開、ゲームやライブ、その他諸々の人権侵害や法律違反などをしてよい、あるいは“しなければならない”などと誤って信じている心・信じさせている心を正して、人権や法律などは平等に適用していただき、私も含め全ての人がしてはいけない・されてはいけない社会を確立していただき、暴力や差別や支配などの迫害はやめて、大聖人の仏法に帰依して、信仰をしてください。



「宗教は、人間の意識を変え、精神を変え、生命を変える。宗教のいかんで、人は強くもなれば、弱くもなる。愚かにもなれば、賢明にもなる。建設にも向かえば、破壊にも向かう。


創造の主体である、その人間の一念が変化すれば、環境、社会も大きな転換を遂げていく。


それが立正安国の原理である。」



仏法用語や先生方の言葉を紹介していると、きりがないので、引き続き、ご自身で学んでいただくとよいと思います。


立正安国については、「新・人間革命」の第4巻の「立正安国」の章に詳しく書いてあるので、読んでいただくと、よくわかると思います。


仏法の実践に関しては、御本尊を拝んで、お題目を唱えることが根本になりますので、ご注意いただき、信仰を希望される方は創価学会に入会してください。