こんばんは。

ご存知でしょうが、今朝大阪で震度6弱の地震が発生しました。

私は丁度大阪駅からの電車に乗り、神戸方面に向かう所でした。

大阪駅を出発して間も無く、緊急停止の音が鳴り電車が速度を落としたかと思った瞬間、スマホの緊急地震警報が鳴り響きました。

そして電車は緊急停止しました。その影響で揺れていると思ったのですが…外を見ると送電線が揺れています。そして車内の電源が停止。
「やっぱり地震か…まあそんな酷くはないか…」最初はそう思ってました。

車内を見回すと、車内の前方に同じ会社の後輩の姿を発見したので、とりあえずいってみました。
「akkiyさんおはようございます。地震ですね。」
「送電が止まったし、しばらくは動かんと思うで、電話は繋がらんと思うから、とりあえずラインで会社の上司に連絡しておくわ。何故か君の上司のラインも知ってるし、安否を伝えておくよ(笑)」
そんな会話で始まったのですが、時間が経つにつれて、色々と車内放送が慌ただしくなってきました。「通勤途中のJR職員は…」とか「近郊の駅職員の応援を要請…」とか…
不安になる乗客の声、安否を会社や家族に伝える乗客の声が聞こえてきます。

「akkiyさん、大阪北区震度6ですって!」
「何やって⁉︎北区って丁度このあたりやんか…そんな揺れたか?震源は北摂高槻か…」
高槻は学生時代からの友人が住んでいる市。すぐさまラインを入れてみると、無事の返信がありました。

そしてしばらくすると車内をJR職員が周り始めます。
「換気のために窓を開けてください!」「ご気分の悪い方は申し付け下さい!」そんな声が車内に響きます。

扉付近の乗客はこんな感じで床にすわりこんでいたのですが、それを見たJR職員はすかさず吊り広告を取り、「これをお敷き下さい」と乗客に渡します。
私も貰い、ドアの前に座りました。
車内は比較的余裕があったので、まだ座ることができただけでも有り難かったです。

家族の安否確認を終えたホッとしていると、色々な所から心配メールやラインが届いていたので、ひとしきり返信をしていました。
実家の母親、横浜にいた兄貴からは地震発生して間も無くメールが届いていました。

そんな中、私の競馬仲間のKENちゃんが、向かいの大阪方面行きの電車に乗っている事が判明しました。電車はかなり混んでいて辛いとの事でした。
とりあえず降りたらどっかで合流しようと連絡をして、少し気分を紛らせるために今週末の宝塚記念の話題をラインでやり取りしてました。

空調の止まった車内で1時間半ほど経とうかとしたところで、向かいの電車の乗客が降りて線路を歩き始めました。
こんなシーンはテレビでしか見たことがありませんでした。
歩く人たちは疲れ切っている人もいれば、スマホやデジカメで写真を撮る人様々です。中には大きなスーツケースを抱えた外国観光客の姿も見られました。

そして2時間以上が経過し、私の電車も前方の方から乗客が降り始めました。
まずは前方の車両に移動していきます。
この時に思ったのですが、日本人はこんな時でも冷静です。"我先に!"といった行動の人は居ません。それどころか「この人気分悪いみたいやから先に通したって」という声も聞こえてきました。
これが「日本人の誇れるところ」かもしれませんね。

そして私と後輩も電車より出たのですが前方を見てびっくり…
淀川の橋まであと僅かの位置でした。
橋の上で停まっていたらと思うとゾッとします。

そして前方の車両に居たもう1人の会社の後輩と合流して、線路から産経新聞社の添いの一般道へと降ります。
とりあえず近くの自販機で飲み物を買い、喉を潤しながら一休みです。

程なくして向かいの電車に乗っていたKENちゃんも降りてきて合流し、4人で福島方面に歩き始めました。
この時点で時刻は11時を過ぎていました。

とりあえず、うちの会社にはここから淀川を超え歩くと数時間はかかる上に、私を含め3人とも自宅が遠方である為、会社に連絡して今から帰宅をする事にしました。
福島に向かう道…雨が降ってなくてよかったものの暑いです💦

そして福島で昼御飯を食べる事にしたのですが、マクドナルドやコーヒーショップは満席、他の飲食店は地震の為、開店が遅れる張り紙がされています。
「やはり地震の影響があるんやな…」

環状線の高架下にあるお好み焼き屋が開いていたので、すかさず入りました。
テレビもあったため情報も得られます。

死者が出たとの情報が…なかでも小学生の女の子が犠牲になった事には心が痛みます。

私達はとりあえず、腹ごなしをしながら、各々の帰りの交通機関の復旧状況を調べます。

店の店主も私達の話を聞いていたようで、「大変やったね。少しゆっくり休んで行ってくだされ。」と一言…。

そして近鉄で帰る後輩が、運行再開を確認したところで、店主にお礼を言い店を出ました。

そしてKENちゃんは歩いて塚本の自宅に、私達3人は難波を目指して移動を始めました。

まず梅田に向かい歩きます。

御堂筋線が止まっていたため、混み合う四ツ橋を待って難波へ向かいました。

そこで後輩たちと別れたのですが、ここで仕事関係でトラブルの電話が鳴ります。この話はまた後日に。
しばらく電話で対応、指示を出していたため、ここでしばらく足止めをくらいます。

マクドナルドでしばしスマホで仕事のやり取りをする事になりました。

そして南海に乗りますが、ダイヤは乱れてます。
通常走っている直通の電車は運休。二度の乗り換えが必要となります。

たまたま、会社に行けず休みとなった娘の同級生のお父さんがとある駅の近くに来ていると連絡が入り、その駅で降りて車に乗せてもらう事になりました。

そして私が今日出勤時に車を置いている和泉府中駅に送ってもらいました。
ホンマに助かりました🙏

時刻は18時過ぎ。
まだJRは復旧していませんでした。
駅で事情を話しICOCAの入場記録を解除してもらい、車に乗って帰宅となりました。

出勤ラッシュの中、大阪都市部では観測史上最大の地震となった今回の地震。どうなるかと思いましたが、思ったよりJRの対応も早くしっかりしていました。
24年前の震災である程度、建造物、ライフラインもしっかりしていたこともあり、思ったほど大きな被害はなかったように思えます。

しかし犠牲者が出てしまったことは残念です。
ご冥福をお祈りします。

家で夕食を食べていると下の娘が「来年もこんな地震があったら嫌やな…」と一言。
この辺りは震度4で、地震の時は保育園のバスに乗っていた下の娘は、先生が持っていたスマホの緊急地震速報の音が怖かったようです。

「yu、残念ながら地震はいつ起こるかわからないんや。だからもしまた起こったて、パパやママがいない時は、保育園の先生の言うことをしっかり聞くんや。必ずパパやママが迎えに行くから大丈夫や」
「…うん」
子供にとっても今日の出来事は、色々思うところがあったのでしょう。

改めて地震に対する備え、連絡が途絶えた時の家族の行動を決めておくことの重要性を感じた日でした。