1976 IMSA GT デコン シボレー モンザ | 乗り物ライター矢吹明紀の好きなモノ

1976 IMSA GT デコン シボレー モンザ

1976 IMSA GT DEKON CHEVROLET MONZA

乗り物ライター矢吹明紀の好きなモノ


1975年、北米における新進のレースオーガナイザーだったIMSAはAAGT(オールアメリカンGT)と称する新たなカテゴリーを導入した。これは当時北米で市販されていたアメリカ製コンパクトカーをベースにそれまでのグループ4GTを上回る大改造を認めたもの。具体的には量産モデルのAピラー周りとルーフを使っていさえすれば他のボディパーツは改造自由。サスペンション周りやブレーキ、エンジンも排気量の規定こそあったもののモディファイ自体はほぼ自由だった。すなわちこの時点でFIAが1976年度からの導入をアナウンスしていたグループ5シルエットフォーミュラを先取りしたものと言って良かった。


こうしたIMSAの動きに対して、それまでグループ4GTを運用していたコンストラクターの幾つかが素早い反応を見せた。その代表と言って良かったのがDEKONである。デコン・エンジニアリングは1974年にレースカーエンジニアのリー・ダイクストラとレーサー兼エンジニアのホースト・クウェックによって設立された。当初はポルシェを素材にグループ4のIMSA GTカーを製作していたデコンだったが、AAGT創設のアナウンスを受けてレースカーを新たにGMにスイッチしニューマシンの開発に着手したのが1975年の始めのこと。ここではGMの全面的なバックアップの元、新型コンパクトカーだったシボレー・モンザが素材に選ばれ、空力的な実験データなどはGM側の協力と共に具体化されたと言われている。


その一方でシャシー側のモディファイはシェルビーアメリカンでフォードGTの運用に関わった後にフォードのワークスレースカー開発部門だったカークラフトに転じ、その後自身のコンストラクターを立ち上げたダイクストラであれば何の不安も無かった。パートナーのクウェックもレースカードライバーでありながら技術に関しての造詣が深かったこともあり、デコンによる新たなレースカーは程なくしてその姿を現したのである。


さて今回紹介するのは1976年型のデコン・モンザ。シャシーナンバー1011である。IMSA GTに参戦していたのは1976年から1981年まで。オーナー/ドライバーは一貫してクリス・コードだった。実車はモンザのルーフ、Aピラー、フロントバルクヘッド、フロアの一部、テール周りを流用していただけで他はほぼ新造されていた。すなわちまずスチール角パイプでペリメーターフレームを組んだ状態でフロアを溶接、それにフロントとリアのサブフレームと一体化したロールケージを組み上げていたというわけである。フロント周りはワンピースカウル、巨大なオーバーフェンダーとなっていたリア周りはドアパネルも含めてFRPで新造されていた。


エンジンは当初は5リッター、その後は6リッターに制限されていたこともありビッグブロックのLS7では無くスモールブロックのLT1をベースにチューンを加えたもの。排気量はスタンダードと同じ5.7リッターが多かった。エンジン本体のチューン自体はストックカー用などに準じていたもののこちらは吸気関係が自由だったこともあり8連スロットルのメカニカルフューエルインジェクションの使用が許されていたため、その最高出力は550hpから600hpと同年代のストックカーを大きく凌駕していた。メカニカルスペック的には同年代のF5000用に近かったといって良いだろう。なおエンジンを製作したのは初期はライアン・ファルコナー、後期はアル・バーツのファクトリーと言われている。


デコン・モンザは1975年から1978年にかけて合計15台が製作された。この他にボディファブリケーションをビュイック・スカイホークとしたものが1台、シボレー・カマロとしたものが2台存在した。いずれも闘ったのはIMSAにおけるAAGTもしくはGTO、さらにはSCCAトランザムであり、全盛だったのは1980年代初めまでだが、中にはSCCA GT-Iといったカテゴリーで長らく走った例もあった。


またデコンと同時期に非常に良く似たチューブフレームのモンザを走らせていたコンストラクターも複数存在しており、3台を製作したギャラントの他、ワンオフに終わったウォーレン・アゴール、バンド&トリヴェッテ、ヒンクリフ、キング等を数えることができた。いずれもルックスはデコンに酷似しており、一見しただけではほとんど区別が付かなかった。


デコン・モンザが先鞭を付けた量産車のシルエットが与えられたチューブフレームの純レースカーというスタイルはこの後、IMSA GTとSCCAトランザムにおける主流となり、たとえばジャック・ラウシュのマスタング&カプリが世に出る動機となるなど極めて大きな役割を果たすこととなった。その意味でアメリカンGTレースカーにおける金字塔的な一台と言っても過言ではないだろう。