ロッキードYF-12/SR-71 | 乗り物ライター矢吹明紀の好きなモノ

ロッキードYF-12/SR-71

LOCKHEED YF-12/SR-71

上の写真はUSAFミュージアムに収蔵されているYF-12

X-15が一般人には想像もつかない過酷なテスト任務をこなしていた1964年2月29日、時のアメリカ大統領、リンドン・ジョンソンは秘密裏に開発していたとてつもない軍用機の存在を国民の前に明らかにした。その名はロッキードA-11。A-11とは原型シリーズ名であり、実際に量産を目指した機体は戦闘機試作型が「YF-12」、主生産型というべき偵察機型が「SR-71」となることも同時に公表された。


この時点まで登場してきたいわゆる先行試作機シリーズである「Xプレーン」とここまで秘密裏に開発されてきた「A-11ファミリー」が決定的に異なっていたのは、後者はいずれ実戦配備につく実用機だったということである。折しも冷戦真っ直中の時代、SR-71に要求されたのは戦略偵察機として他のどんな機体よりも高く、そして速く飛ぶことだった。


敵地の奥深く潜入し重要目標の偵察を行うことが主任務の戦略偵察機にとって高々度を高速で移動するということは、それだけ自己の安全を確保しつつ偵察半径が大きくなるということを意味していた。SR-71に要求されたのは高度8万フィートにおける最高速度マッハ3というもの。SR-71の原型機であるA-11改め対レーダー性能を向上させたA-12は1950年代の終わりから開発作業が始まり1961年の終わりに完成、翌1962年4月に初飛行を行った。


偵察機型のSR-71の初号機が実際に製作に入ったのは1963年2月のことであり、こちらの初飛行は1964年12月22日のことだった。


なお当初は戦闘機型といわれていたYF-12だが、東側のICBMを高速の戦闘機で迎撃するというミッションそのものが現実的ではないと判断されたことから戦闘機として運用されることはなく、最終的には生産された3機のすべてがNASAの手によって各種実験とお決まりの最高速度及び最高高度記録更新のために使われることとなった。


NASAによる記録は一般公開直後の1965年5月1日に3331.5km/hのスピードと2万4450mの水平維持高度を達成したのが最初であり、その後1976年7月27日には1機のSR-71Aがこの記録をそれぞれ3529.56km/hと2万5929.031mへと更新し、そのベールに包まれた実力のごく一部を垣間見せた。


SR-71はA/B/Cの各型が合わせて32機が生産された。主力は29機生産されたA型である。これらの機体は決してその実体が知られることは無い戦略偵察に活躍した。これはマッハ3を越える最高速度が実戦で活用された最初で最後の例でもあった。


なお私事ながら今から10年ほど前アメリカ取材の過程でカリフォルニア州モハーヴェのエドワーズ空軍基地の近くをクルマで走っていた時、真っ正面から低空を進入してくるSR-71に遭遇した。その高度およそ1000フィート。視界一杯にあの特徴的な機体のシルエットが広がったことが鮮烈な記憶として残っている。おそらく何かの試験飛行の過程だったのだろうが、その後数年してSR-71は全機退役したことを思うと絶妙のタイミングで遭遇できたものである。