生真面目過ぎたんだろうか?
大人のビジネスをわからな過ぎたんだろうか?
心配性過ぎたんだろうか?
もし今のオレなら少しは、
もう少し上手く立ち回れたのかも知れない。
今のオレの方がずるくて強い。
でもあの時はもう、色んな気持ちが、
いろんな不安が渦巻いて、いっぱいいっぱいになっちゃってた。
痩せたおじさんとは、何度も何度も話し合った、
と言うよりもバトルを展開した。
バトルの甲斐あって、日本で販売するものの、
商品を事前確認して、オレがデザインの修正をかなり加え、
そしてオレのブランドの商品として出すのは自分の中で、絶対に無理と言うものを削いで行く事になった。
それは絶対に譲らなかった。
それだけは絶対…
痩せたおじさんが、実際に日本での準備に取り掛かってる時も
絶対にまるっきり信用はせず、何回も何回も、
それはストーカーの様に確認の国際電話を掛けた。
(後々、この時期の電話料金が凄い事になっててね。
部屋のオーナーであるケイトさんに言われて
二人で番組にどう報告しようか???
と、頭を悩ませたよ☆ (≧∇≦))
そして、絶対に譲らなかった数々の条件と引き替え、と言うわけでは決してないけど、
「This Way」に対して、カメラの前でオレが発言する事にした。
そう、決心するしかなかった。
当時、NYで活動している間に、
ショップスタッフのHannaやMitsu、
番組スタッフさん達と、無我夢中でSHOP「AKIUE-GO」を盛り上げて運営しようとしている間に、
日本でのAKIUE-GOを取り巻くビジネスの規模が、
いきなりの大階段を駆け上がろうとしていた…
オレがこの部分を飲まなければ、いろんな方々に迷惑を掛ける事になる。
オレに手を差し伸べて下さった、阪急百貨店さんしかり。
たくさんの方々に。
それをオレは理解してしまったから…
カメラを回す準備が出来て、コメントを撮る時、いつもなら
ふざけてぐずぐずしていたら、ちょこっと叱られたりする時もあったけど、
この時はスタッフさん達、ずっと待ってくれたよ。
自分の口から発するまで、結構な時間が掛かったけど、
ずっとずっと待ってくれたよ…
やっとその言葉を発した時、発した後、
心がね、悲鳴をあげる様に痛かった。
………………
15年経った今、「This Way」と言うブランド名、
あれだけの、びっくりする様な莫大な売り上げをあげたその名を
応援して下さった皆さんの記憶でも、その名を思い出す方々は少ないと思う。
自分の中の記憶でも、
このブログを書くまで、日常の中では忘れてるし、思い出す事もなかった。
思い出そうとしなかった。
その名よりも、ASAYANから、
あの時、世に飛び出した「ご あきうえ」がデザインした「AKIUE-GO」として記憶して下さってる方々の方がたぶん、多いと思う。
番組が
その名よりも、それ以上に「AKIUE-GO」と言う名を、一層取り上げて下さったから。
この部分は確信がある。
これはオレを守る為に、番組が意図的にしてくれた事だって…
凄くあっぱれで、凄くありがたい…
そして、番組を観て下さって商品を購入して下さった方々も
「AKIUE-GO」の商品として購入して下さったからだと思う。
15年経った今、
オレ自身が「AKIUE-GO」だと思ってるもん。
………………
けどね、この時期はもう心がね、
すでに折れ掛かってたんだ。
そして、ついに
ほんの小さなある事が切っ掛けで、堰を切ったように
オレは「あの事件」を起こす事になる。