昨夜、福岡で田楽座公演を観てきました。

生の舞台の感動はいつものことながら、昨夜の舞台はこちらの予想を遥かに超えたものでした。


出会って三十余年、公演、講座、交流は数知れず。座の変遷も遠くから見てきた。

田楽座の創立は1964年、当然、私はまだ生まれてもいませんが(笑)資料によると初めての県外公演を実現した年からは私も生まれてるので、時代の流れも実感で分かります。


私は二十代前半で田楽座を知り、当時はまだ道路も未整備?街灯も無いような山奥にある田楽座の本部に仲間と共に講座を受けに行きました。

ホントにこの暗闇の向こうに建物あり人がいるのか?と疑いながら、無事に着いたときにはホッとしました。


それから数年ごとに行くたびに拓けていき、今やしっかりとした道路があり、周囲も開発され、隔世の感は拭えませんが、それこそ時代の流れ。


時代の流れといえば、バブルが弾けての失われた30年。いや、まだ続いているので、37年?

皺寄せは庶民と同じく田楽座にも、また同じような歌舞劇団や芸能、芸術集団にも押し寄せ、苦しい局面に何度も遭遇し、その都度、堪え凌いできた座が、その全てを昇華させて、新たな1頁をめくって見せた舞台でした。


こちらも演目はほぼ、知っている。

技量は文句なしもわかっている。

その上で、洗練されたものが次々に繰り出される。古く新しく、新しく新しい。

抽象度を上げて、さらにそれを形にしてみせる、100%でくるから120%で受けとるしかない。

この充足感、あの2時間は至福だった。


「土の香 人の情 ふるさとをこよなく愛して」

が長らく田楽座のキャッチフレーズの歌舞劇団 田楽座でしたが、途中、[現代に甦った田楽法師]等を経て、今は、「まつり芸能集団 田楽座」とシンプルになっています。


新しい局面に挑んでいった表れの一つだと思います。この方が伝わりやすい、伝えやすいから。

だけど、その根っこにはやはり、ふるさとをこよなく愛しての気持ちが確りと張っているのが舞台から感じられる。


この先の舞台も楽しみにできるなとお土産をもらった気分でした。


まだ、田楽座に出会ってない人はぜひ、一度。人生で一度は田楽座に出会ってほしいです。マジで。






必要な反応と不必要な反応

それらがごちゃ混ぜで、いたずらに反応に振り回されているような人生……


中庸とは反応に振り回されないことか?


生じるものは仕方ないから、こういうものかと認知したら、直ぐに手放す、意識を向けない、ゼロにすることか、と思う