縮小する「日本美術の独自性」改稿 | 藤田新 

縮小する「日本美術の独自性」改稿

個展の予定が詰まっていて、ブログを書く時間もないのですが、何年か振りで風邪で寝込んでしまいました。

寝ながらネットを見ていると面白い記事を見つけました(笑)

 

-----------------------------------------------------------

 

「独自」とされてきた日本美術の表現は、実は日本特有のものではなかった──?
美術史の研究が進むにつれて、日本美術に関するさまざまな常識が塗り替えられつつある。
西洋や中国に目を向けて日本美術を世界の中で位置づけて鑑賞すると、一体なにが見えてくるのか?  
美術史家の宮下規久朗氏(神戸大学大学院人文学研究科教授)が、日本美術、西洋美術の見方の
まったく新しいフレームワークを提唱する。(後略)

■多くの美術品が現存する幸運な国、日本

日本は各時代にすばらしい美術作品を生み出し、今でもそれらは世界じゅうの人々に親しまれている。
しかも、それらの多くが遺(のこ)っている幸運な国である。
隣国の中国や朝鮮半島、あるいはベトナムの場合、相次ぐ戦乱や侵略のため、古い時代のものは遺っていないことが多く、時代によってはきわめて大きな欠落がある。そうした時代の美術は、文献資料やのちの模本から想像するしかない。これに対し外国の侵略をほとんど受けたことのないわが国は、戦災や天災で多少のものが失われたとはいえ、縄文時代以降、各時代の重要な作品のほとんどは現存しており、きちんと美術の流れをたどることができる。世界を見渡すと、そのような幸運な国のほうがめずらしいのである。

明治期に近代国家が成立すると、国家の伝統や歴史を見直す作業の一環として日本美術史というものが構想され、明治33年(1900)にはパリ万国博覧会に際して日本最初の美術史と目される
『稿本日本帝国美術略史』が編集された。以後、日本美術史は何度も書き換えられつつ徐々に精度を増し、部分的に更新され修正されることはあっても、そのストーリーの大枠はおおむね定着しているようにみえる。

■「日本美術の特質」への問いかけ

※省略

■縮小する「日本美術の独自性」

18世紀末から20世紀初頭にかけて流行したジャポニスムは、浮世絵を中心とした日本美術の絵画や工芸がフランスなど欧米の美術に作用し、日本美術が欧米の先進的な美術に影響を与えた稀有な現象であった。
浮世絵の大胆な構図や色彩、平面性は、西洋で伝統美術の様式を打破して新たな造形を生み出そうとしていた芸術家にとってタイムリーであったため、大きな刺激を与えることになった。しかし、皮肉なことにその後の日本美術は、浮世絵のこうした造形的特徴を継承することはほとんどなかったのである。

また、これ以前、日本美術は、中国や朝鮮など近隣の国にすら影響を与えたことはまったくなかった。
12世紀初めの『宣和画譜(せんながふ)』に、徽宗(きそう)皇帝(在位1100~25年)の所蔵する日本の屏風3点について、「金碧(きんぺき)を多用」しているが、「真」に欠けると批判されている。
中国や朝鮮の人々にとって、日本美術は中央様式の地方化したものとしか映らなかったのである。


明治以前の日本で、海外で活躍した美術家は知られておらず、中国・元で客死した禅僧画家黙庵(もくあん)やマカオに追放されたキリシタン画家ヤコブ丹羽(にわ)の活動がわずかに推測されるくらいである。
さらに、日本美術の独自性というのは、たまたま日本には中国や朝鮮半島よりも多くの美術作品が遺っているために、そう思われてしまう場合も多いのである。

たとえば、平安時代のやまと絵は、かつては遣唐使廃止による国風文化の産物だとされてきたが、中国美術史の研究が進んだ現在では、やまと絵とされるものの大半は失われた唐宋美術を反映したものであって、その特徴のほとんどは和様化とはいえないということが明らかになっている。截金(きりかね)を多用した繊細で工芸的な平安時代後期の美麗な仏画も、かつては日本化の極みだとされて賞賛されてきたが、じつは、ほとんどが失われた宋代の仏画の技法を模したものであるということもわかってきた。

近年ブームとなった若冲(じゃくちゅう)や蕭白(しょうはく)ら江戸中期の奇想派については、京都の成熟した町衆文化が生み出したものであっても、明(みん)代の奇想派や長崎の来舶清人(らいはくしんじん)の影響によるものも大きいということが指摘されている。


つまり、日本美術の独自性と呼べる要素は、美術史研究の進展とともにどんどん縮小していっているのである。
日本美術を正しくとらえようとすれば、その独自性や美質などにこだわらず、東アジア文化圏を中心とする世界の中で位置づけて眺める必要があろう。(宮下 規久朗)

 

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190708-00056932-jbpressz-life

 

----------------------------------------------------

 

 

古い美術品が残ったのは、幸運ということだけとは思えません。

それは普通の日本の人々が一つの「価値感」に染まりきらないからでもし何かの価値に染まりきったら、それ以前の価値を感じさせるものはきっと壊していました(笑)




明治時代から始まるように見える近代化という試みの中で、西欧に伍する日本美術の独自性というような感覚を作りだそうとしたとしても、今よく見ると独自でもないか(笑)となっても驚きではありません。

始めから独自性を作ろうとすることに無理があります。

西欧と同じように、何かの「価値観」にずっと染まり切っていたポーズを作っただけのことです。

 

もっとも歴史のある国にはきっと染まり切るような価値観があるに違いない・・・と思いこむ西欧の視線に対応しただけだったのかも知れません。


 

 


古い美術品が残ったのは、普通の日本の人々が一つの「価値感」に染まり切らないからです。

そのこと自体が「独自?」に見えます。

 


先日知ったのですが最近の文化研究の流れは
「作品の価値をもっぱら作者個人の個性や独創性に帰属させるような西洋近代型の考え方を見直し、その相対化をはかること」なのだそうです。
渡辺裕 氏

「縮小する日本美術の独自性」は「日本」の変わりに「グローバルな何か」を中心にして美術を考えると思いましたがそれは違うようです。
西洋近代型を見直した後、何かの型が出来るかどうか分かりませんが、それは自らの型を持たずに外から来る型に順応出来る私達の在り方に近接したものかもしれません。


私達の教義の無い「神道」はやはり教義を作らなかった「龍樹」の世界を感じさせます。
言葉で区分することが無い「一切シャベツのない平等な世界」です。

それは世界を言葉で規定しようとするような西欧の世界より、遥かに抽象度が高い世界です。




その感覚は「独自」という発想からそもそも外れた場所にあって、そう主張することはこれからも無いでしょうが、世界的に見ればきっと稀有な世界で、広がることが出来れば世界はもう少し平和な場所になるような気がします。