75 私人から職員に変わった場合の金銭感覚 | ザ・住民訴訟

ザ・住民訴訟

正木 明人が想いのままに綴るブログです。


T議員が杭撤去工事が遅れたら、一日あたり300万円の損害を補償しなければならない。早く専決した方がよいと言っていたという。この300万の根拠は何なのだろうか。教えて欲しい。もっとも決断はあくまで、市長の責任であり、T議員の責任ではない。議会は結局専決を否決するだろうから、議会の責任ではないが契約は有効だ。
一日300万円とすると、300万円×365日=10億9500万円。売り上げが35億円だ。31%も利益が出る。単位が一ケタ違っているように思うがどうだろうか。

ところでT議員がどういったかは別にして、市長の方だ。職員がどういう計算をしたのだろうか。その根拠が知りたい。議会も職員がどういう説明をしたかを市民に説明をするべきだ。

さらに昨日も言ったが、職員が市民に損害はかけていない。迷惑はかけている。この認識は上層部までがそうか?




数十億使って建てた、旧3町の庁舎。以前いた職員はほとんど去った。今は倉庫の状態だ。
これを職員の感覚では無駄だとはおもはない。なぜなら、お金がものに変わっただけだ。ちゃんとあるではないかと思う。
これは驚くべき事だが、驚愕するべき事実だ。

書籍も食器もそうだ。金が書籍や食器に変わってちゃんとあるではないか。失っていない。

こういう感覚の人達を市民は、使っていることを忘れてはならない。それが分からなくては何も分かっていないに等しい。

今、どの業者も経営危機だ。なぜ危機か。それは、まさに、金をモノに替えてしまったからだ。だから金がないのだ。よいときもあった。勿論あったモノは今は、役に立たないモノばかりに変わり果てている。売ろうにもただ同然でしか売れない。人は言う。よいときもあったと。そのよいときに稼いだ金が今、残っていないのだ。

職員には、損と得が全く理解が出来ない。そういった人達が市の経営戦略会議を主宰している。彼等が助けてくれるらしい。



なお、今私が言った職員の現実を、まず市民が余りにも想像を絶するモノだから全く理解が出来ていない。物事はほとんど、事実を正確に認識するところから始まる。市民と職員のこの埋まることのない、ギャップ。そこに双方が気がつくことだ何よりも先決だ。職員もそんな世間知らずでは、市が破綻する事によって自分達が路頭に迷うではないか。財政危機を凌ぐとはそういうことだ。

あれがどうだこれがどうだ。副市長は辞職だとかいっているが、少なくとも職員はそうは思っていない。説明を受ける議員もそうは思っていない。先ずそのことに市民が気がつくことだ。今日私が書いた内容を、確認して欲しい。




なお、職員はとか議員はとか言ったが、大多数という意味です。分かっている職員がいないことはない。例えば民間から入った職員。親が日々自営で苦労している職員。ただそんなモノは本質ではない。大勢に影響がない。そういった人達も変わっていくし、物が言えない。議員も同じだ。行政に接するウチに、言い負かされてしまう。負けを認めなければ議員として孤立してしまう。

これは個人に言っているのではありません。行政を変えようとする場合は例外に拘っては上手くいかない。多数決で動いた行きます。そういうものではないかと私は一人で思っていますということです。