今思うと父のことが大好きだった。


晩年、あまりにたくさんの病気を抱え、看病と介護に追われ、父=溜め息のもとのようになっていた。




でも。

自覚はなかったけど父はわたしにとってスーパーマンだった。



字が上手い

文章が上手い

手先が器用

包丁捌きが上手い

彫刻が上手い

歌が上手い

ハンサム

笑顔を絶やさない

多趣味




子どもが頃の添い寝は父だった

毎晩、歌を歌ってくれた

♪アルプス一万尺

絵本を読んでくれた





あっという間に出世してた

いつも人が集まってた




母のやりたいことを何でも認めてた



人の生き方を認めてた








難点?🤣は運動音痴









それくらい、父は素敵な人だった。

と、今は思う。






なのに。

75歳を過ぎた頃から病気病気のデパートで。皮膚がんは完治したけどその他、難病疑惑2回、腹部動脈瘤、心筋梗塞、認知症疑惑まで。



認知症疑惑はM記念病院。秋葉原に通って最悪だった。





晩年のダメージが強くて、

さらには、自宅で看取る決断が出来なかった自分を責める時間が長くて。今でも、後悔してるけど。









父は浮気をしただろうか?

誘惑は多かったと思う。

仕事関係でモテモテだったのは知っている。うちに手紙や電話もよく来てた。






友達母娘だった母はほとんど何でもわたしに話していた。その限りで浮気の心配はしていなかった。




基本、暢気で朗らかだから、隠し事が苦手だったし。浮気より、同僚と養老乃瀧日本酒みたいな。











実は………があったとしても不思議じゃないけど。








父を想っていた人を二人知ってる。



どちらも幼なじみ。

お一人は高校教師になられた。

都立高校で定年を迎えられた。

お一人は保健師になり都内の保健所長に。どちらも生涯独身を通された。




お二人とも父より先に逝かれた。

父はお見舞いに行っている。

お一人は有料老人ホームだったと思う。

切ない対面になったらしい。





母はおそらく、ずっと複雑だったと思う。自分は子育てのため保育士を辞めた。学生時代の友達はほとんどが独身で園長まで勤めあげている。




自分も勤めていたら………。

父を想うお二人のようにキャリアを積む生き方も選べたのではないか?お二人に焼きもちやくのを見ていたし。




あまりに分かりやすい焼きもちで、父もわたしも笑ってた。











親のことは、本当のところはわからないけど。














本日のチョビコオカメインコ


生け垣が森みたいに映った❗





祥月命日なので父を礼賛😆😆😆

してみました❗

最期を自宅で過ごさせてあげられなくて本当にごめんなさい。