前号に引き続いて、記事の中の市長の発言を紹介します。



〇 議員との一般質問をめぐる記事を紹介した後の記事です。


進まない政策議論。石丸は、「議員の問題で、議会が機能していないから」と話す。



議会での一般質問も、市長のスタンスは「いかに議員を貶め、さらし者にし、自分がいかにヒーローを演じるか」の一点にあります。

議論がかみ合うことなど、最初からありえないのです。



政策議論ができないのは、元々市長に戦略や政策がないことに加え、市長が個人的人気を得るためだけの劇場型政治(劇場型個人攻撃)に走って、議会との関係をぶち壊したところにあります。

「進まない政策議論」ではなく、もはや議論する環境さえないのです。



また、記事では、



強い刺激で注目を集める、「アテンション・デモクラシー」とも呼べる石丸の手法。



と、市長の政治手法を肯定的に定義しています。



一方で、記事の中では、次のような市民の声を伝えています。



取材に応じた中で一番多かったのは、「名前も年齢も職業も書かんとって」という反応だった。



この市民の声は、安芸高田市においては「市政について、まして市長批判など表では語れない」ということです。

市民が市政について沈黙を強いられる状況に、「デモクラシー」など存在するはずがありません。



大ウソをでっち上げ、市民や議員を沈黙させ、お友達業者や議員と癒着・結託して利権を貪らせ、言いたい放題やりたい放題の市長は、「デモクラシー」から最も遠い位置にいます。



朝日新聞は、何をもって市長の政治手法を「アテンション・デモクラシーとも呼べる」というのでしょうか。

石丸伸二という人間を4年近く身近で見てきた安芸高田市民には全く理解できません。



市政に対する理念も、戦略も、政策もない、しかも倫理観も欠落した首長が、SNSを使った劇場型政治(劇場型個人攻撃)を行えばいかに危険か、しかも大言壮語をして人気取りに走れば、ネット社会では個人崇拝まで起こりうることを示しています。



国民の経済格差が拡大・固定化し、不満が蓄積する中で、安芸高田市で起こっていることは、極めて危険な兆候でもあるのです。

朝日新聞は、なぜ石丸政治の現象を羅列するだけで、その危険性にまで筆を進めなかったのでしょうか。



「居眠り」は例示しても「恫喝発言のでっち上げ」は例示しないこの記事は、広島ホームテレビに18.05%出資する筆頭株主としての限界が見える記事だと言えるでしょう。



市長が「恫喝発言でっち上げ裁判」の1審で敗訴したとき、広島ホームテレビのインタビューに次のように言っていたのを思い出します。



石丸伸二に対する請求は全部棄却されているんですよね。(中略)

結果として市に損害賠償を求める構図ですよね。

その構図がまず面白くないですか。

「何やってんだ」っていうね。




この発言は、市長石丸伸二に代わって、安芸高田市が損害賠償をすることへの罪悪感・責任感は微塵も見えません。

それどころか、山根議員が石丸伸二を訴えた目的が達せられなかったことを揶揄さえしています。

これを見ると、市長は判決の論理的構成すら理解しておらず、しかも彼の倫理観さえ疑われる発言です。