広報あきたかたの「市政の動き」は、令和3年10月号から始まっています。



この時期は、副市長の承認議案が否認され、議長を「国語力がない」と罵倒して、議会との関係が完全に破綻し、石丸市政が行き詰まりを見せていたころです。

市長とすれば、広島ホームテレビの支援とX(旧ツイッター)を駆使して劇場型政治を作り上げてきただけに、新たな宣伝媒体を求めたのでしょう。

市長が目を付けたのが、全戸に配布される広報あきたかたです。

こうして市の広報誌を私物化する「市政の動き」が始まっていきます。



この「市政の動き」において、議会だよりの記事について指摘したのは、令和5年1月号です。



9月定例議会で「市政の動き」が問題視され、決算が不認定になった腹いせで、市長は「11月発行の議会だよりは『的を外したまとめ方になっている』と作成段階で議会へ指摘しました」と前段で記し、6議員の記事について解説しています。

この中に問題となっている先川議員の記事があります。



そして、令和5年10月の市政の動きで「議会だよりの問題点」として、4人の議員の8件の記事について触れています。

これらの記事は、本会もすでに通信で指摘している通り、市長の地方自治法に対する無理解と「見解の相違」として片づけられる程度のものでしかありません。



ところが、市長は、延べ10人の記事の中で、唯一先川議員の記事「たった一言」に目を付け、「議会広報に誤った記事を載せることは、議会基本条例に違反する」叫び、議会広報の発行費を全額削除した予算を提出したのです。

完全に市長のこじつけであることがわかります。



以上のことから、次のことが見えてきます。


① 「市政の動き」は、市長の劇場型政治を支える媒体として始まった。


② 市長が指摘した記事の多くは、「見解の相違」で片づけられる程度のもので、せいぜい「当たらずとも遠からず」程度のものでしかない。


③ 昨年の秋以降、市長選挙に新人が名乗りを上げ、二つの裁判に敗訴する中で、市長も自分の選挙や自分の将来を意識せざるを得ない時期になってきた。


④ そこで、彼がとった手段が次の二つです。


〇 市の公式チャンネルを使って「Meet‐upオンライン」をでっち上げ、YouTubeに頻繁に露出し、支持者をつなぎとめる。


〇 自分の人気を保ってきた劇場型政治を賑わすために、新たな争点を作り動画の制作を促す。


⑤ この劇場型政治の争点として、議会広報誌発行費の全額削除を持ち出す。


⑥ 市長は、議会で予算が修正されても再議にかけるなどして、騒動を拡大させる。



こうした一連の動きは、賞賛を浴び人気を取りたいだけの市長の幼稚な思考から生み出された猿芝居にすぎないのです。



3月21日の議会終了後の市長の動きは、このことを如実に示しています。