今回の記者会見では、市長の人間性がよく出たパフォーマンスが演じられました。
[市長](中国新聞の支局長が欠席しているのを確認しながら、安芸高田市の)支局長はどうしていらっしゃるのですか。
心配しているのですよ。(取材を中断して携帯電話をわざわざ取りに行って、支局長に電話をして応答がないのを確認)
支局長としての職務がある。
都合が悪くなったら逃げているようにしか見えない。
本社は逃がしているのですか。
本社の指示だとすれば、中国新聞のガバナンスはやばいと思う。
社会の公器として恥ずかしくない対応をしていただけたらと思う。
市長は記者から問われもしないのに、自分から中国新聞の支局長の不在に言及し、携帯電話で電話までして、「悪役・中国新聞」を話題にし、映像化したいのかと嫌悪感を覚えてしまいます。
しかも、「都合が悪くなったら逃げている」と、あたかも支局長が「卑怯である」かの如く強調し、挙句の果てには民間企業のガバナンスにまで言及しています。
いかに自治体の長だとはいえ、ここまで常識を逸した傲慢・尊大な態度は許されるものではありません。
中国新聞支局には、意図的に編集された影像に影響されたネット住民から、嫌がらせや誹謗中傷の電話が数多くかかっています(一方で、激励の電話も多くなっています)。
こうした状況の中で、中国新聞社が支局長の安全や事態の悪化を回避するために、何らかの対策を取るのは、中国新聞のガバナンスとして当然のことです。
大成功している『中国新聞を悪に仕立てた劇場型政治』を演じるためには、否が応でも中国新聞を記者会見の場に引きずり出したい。
そして、編集加工された影像の配信でネット住民の間でさらなる人気を得たいという、市長のもはや病的な賞賛願望が現れています。
この記者会見の影像が配信されていますが、9月30日現在で視聴回数は44万回、「高く評価」は1万件、コメント数は2143件(市長に批判的なコメントは削除されています)になっています。
視聴が44万回と非常に多いことがわかります。
一方で、視聴は多い割には、高い評価が1万件しかなく「全体の評価はさほどではない」という事がわかります。
コメントを見てみましょう。
○ 私は兵庫県民ですが、こんな素晴らしい市長さんの居る町に住みたいと思いました。
○ 安芸高田市長頑張って下さい!! 日本中の支援者があなたを応援しております!!
○ 最期まで視聴していましたら、市長の策略が凄いですね。頼もしく視聴させて頂
きました。
○ どこからも尊い石丸市長。敬服いたします。
○ 国政に出るべき人材だと思います。
○ 会見中に中国新聞に電話するという演出力、先の先まで緻密に計算した災害時の
行動。恐れ入りました! 等々
こうしたコメントが延々と続くのです。
まさに市長賞賛の嵐です。
石丸市政の3年間を見ると、市長には行政能力だけでなく、最も大事な「信頼する、支えあう、協働する」という人間としての能力が見当たりません。
その結果、業績も目に付くものがありません。
したがって、市長には、このネットの賞賛が唯一自分の存在を確認し、自分の能力を証明する場となっているのです。
市長には、劇場型政治を続け、正義の味方を演じ、その影像を配信し、賞賛を受ける以外に、市長として存在する場所がないのです。
[市長](中国新聞の支局長が欠席しているのを確認しながら、安芸高田市の)支局長はどうしていらっしゃるのですか。
心配しているのですよ。(取材を中断して携帯電話をわざわざ取りに行って、支局長に電話をして応答がないのを確認)
支局長としての職務がある。
都合が悪くなったら逃げているようにしか見えない。
本社は逃がしているのですか。
本社の指示だとすれば、中国新聞のガバナンスはやばいと思う。
社会の公器として恥ずかしくない対応をしていただけたらと思う。
市長は記者から問われもしないのに、自分から中国新聞の支局長の不在に言及し、携帯電話で電話までして、「悪役・中国新聞」を話題にし、映像化したいのかと嫌悪感を覚えてしまいます。
しかも、「都合が悪くなったら逃げている」と、あたかも支局長が「卑怯である」かの如く強調し、挙句の果てには民間企業のガバナンスにまで言及しています。
いかに自治体の長だとはいえ、ここまで常識を逸した傲慢・尊大な態度は許されるものではありません。
中国新聞支局には、意図的に編集された影像に影響されたネット住民から、嫌がらせや誹謗中傷の電話が数多くかかっています(一方で、激励の電話も多くなっています)。
こうした状況の中で、中国新聞社が支局長の安全や事態の悪化を回避するために、何らかの対策を取るのは、中国新聞のガバナンスとして当然のことです。
大成功している『中国新聞を悪に仕立てた劇場型政治』を演じるためには、否が応でも中国新聞を記者会見の場に引きずり出したい。
そして、編集加工された影像の配信でネット住民の間でさらなる人気を得たいという、市長のもはや病的な賞賛願望が現れています。
この記者会見の影像が配信されていますが、9月30日現在で視聴回数は44万回、「高く評価」は1万件、コメント数は2143件(市長に批判的なコメントは削除されています)になっています。
視聴が44万回と非常に多いことがわかります。
一方で、視聴は多い割には、高い評価が1万件しかなく「全体の評価はさほどではない」という事がわかります。
コメントを見てみましょう。
○ 私は兵庫県民ですが、こんな素晴らしい市長さんの居る町に住みたいと思いました。
○ 安芸高田市長頑張って下さい!! 日本中の支援者があなたを応援しております!!
○ 最期まで視聴していましたら、市長の策略が凄いですね。頼もしく視聴させて頂
きました。
○ どこからも尊い石丸市長。敬服いたします。
○ 国政に出るべき人材だと思います。
○ 会見中に中国新聞に電話するという演出力、先の先まで緻密に計算した災害時の
行動。恐れ入りました! 等々
こうしたコメントが延々と続くのです。
まさに市長賞賛の嵐です。
石丸市政の3年間を見ると、市長には行政能力だけでなく、最も大事な「信頼する、支えあう、協働する」という人間としての能力が見当たりません。
その結果、業績も目に付くものがありません。
したがって、市長には、このネットの賞賛が唯一自分の存在を確認し、自分の能力を証明する場となっているのです。
市長には、劇場型政治を続け、正義の味方を演じ、その影像を配信し、賞賛を受ける以外に、市長として存在する場所がないのです。