3年前の夏、「若くて爽やかな市長石丸伸二」の誕生に、安芸高田市民は大きな希望を感じていました。

当時の議会も歓迎し、大きな期待を持って迎えていました。

就任後最初の9月定例議会での一般質問等を聞くと、市長石丸伸二への期待と賞賛の言葉に溢れています。



そして3年後の夏、議会多数会派とは抜き差しならぬ対立関係になり、安芸高田市民は市長石丸伸二に対して「失望を通り越して嫌悪感」さえ持つまでに変わってしまいました。



市長石丸伸二の3年間を検証します。



市長就任直後の9月30日の議会との会合の場で、「複数の議員から恫喝発言を受けた」とツイートし、テレビではワイドショーにまで取り上げられ、「時代錯誤のとんでもない議員がいる」と非難の嵐が巻き起こりました。

議会は「恫喝発言はなかった」と公式発表しますが、「市長の発言」の重さとマスコミの視聴率稼ぎの報道姿勢の中で、かき消されていきました。

この「恫喝発言」を巡る一連の騒動の中で、市長石丸伸二は、議会を「恫喝発言やそれを擁護するとんでもない輩」、自らを「こうした輩を糾弾、正す庶民の味方」と印象付け、ツイッターやマスコミを使って徹底して演じていきます。

そして、市長石丸伸二のこの「雄姿」はネット社会で賞賛され、「自治体改革の旗手」にまで祭り上げられたのはご存知のとおりです。
 


こうした政治手法は「劇場型政治」と言われ、次のように定義されています。



単純明快なキャッチフレーズを打ち出し、マスメディアを通じて広く大衆に支持を訴える、ポピュリズム的政治手法。

敵対勢力を悪役に見立て、自分は庶民の味方として戦いを挑むといった構図を作り上げ、国民の関心を引きつける。日本では小泉純一郎が得意とした手法。




この劇場型政治は、使い方によっては、極めて危険な政治手法になります。

特に、市長石丸伸二のやり方は、常軌を逸しており、危険極まりないものになっています。



小泉政治は「郵政民営化」等の政策を対立軸にしていましたが、市長石丸伸二は政策ではなく、恫喝発言に見られるように、ウソまででっち上げて非難されるべき「悪役」を作り出します。

しかも、その「悪役」を個人に設定し、個人攻撃を徹底して行う点にあります。

つまり、政策的実現とは全く無関係に、自らの人気取り、個人的賞賛を求めるために、劇場型政治を使い個人攻撃を行うものでしかないということです。



市長石丸伸二の劇場型政治は、敵対勢力(悪役)を政治以外の中国新聞にまで設定しています。

当初は、「自分の意に添う記事を書かない中国新聞」への苛立ちのようでしたが、マスコミ(中国新聞)批判がネットの関心を呼ぶことを知った市長石丸伸二は、今では劇場型政治の中心に据えてきたのです。

昨今の、記者会見の動画の配信による中国新聞批判と市長石丸伸二への賞賛の嵐は、劇場型政治がいかに異様な状況になるかを如実に示しています。



議会は市長を監視する権限を与えられています。

マスコミは権力を監視する役割を与えられています。

市長石丸伸二は自らへの賞賛を限りなく求めるだけでなく、監視するものを劇場型政治手法を使って黙らせる。極めて危険だといわざるを得ないでしょう。



[注 ポピュリズム] 

大衆からの人気を得ることを第一とする政治思想や活動を指す。

本来は大衆の利益の側に立つ思想だが、大衆を扇動するような急進的・非現実的な政策を訴えることが多い。

特定の人種など少数者への差別をあおる排外主義と結びつきやすく、対立する勢力に攻撃的になることもある。