山根議員が市長を賞賛した「温ちゃん通信」を発行した10月1日に、市長は「敵にまわしたら政策に反対するぞ、と説得?恫喝?あり」と、全員協議会で「恫喝発言があった」と突然ツイートしたのです。

それ以後、ツイートにはウソが上塗りされていきます。



10月3日のツイート


「謝れ」といって呼び出されたわけですが、「その姿勢は、これからも変わりません」と伝えて退席した。

「夜道には気をつけろよ」を気遣いとして受け止めるお人好しはいない。

 


10月8日ツイート


「誰が何を言ったか」は明らかなので、全議員にそれぞれの見解を示して欲しい。



10月10日ツイート


(議会に)問われているのは、①眠たい議会の改善策、②恫喝についての釈明の2点です。



こうしたツイートで、「恫喝発言」はマスコミを巻き込み大きな問題に発展していくのです。



そして、市長は10月10日の全員協議会にマスコミを呼び込み、「恫喝発言をしたのは山根議員だ」と名指しして「犯人に仕立て上げた」のです。

マスコミ各社はこれを取り上げ、特に広島ホームテレビは市長の主張を全面的に取り上げ、山根議員の発言を切り貼りして謝罪したかのごとく放映したのです。



一方、議会は、10月30日に「威圧的と感じる発言はなかった」と市長に回答をしましたが、市長は「わたしは恫喝されたと思っている。この回答は意味を成さない」と主張し、その様子を広島ホームテレビ等に放映させています。



これ以降の動きの概略を紹介します。


○ 議会もさすがに市長にここまでやられると反発し対立を強めていきます。


○ 市長は恫喝発言についての対話を議会に求め、これに応じない議員への一般質問には答弁しないと通告してきます。

市長に反発する議員は一般質問を拒否します


○ 山根議員は、9月30日の全員協議会の録音を公開するとともに、市長を選挙妨害及び名誉毀損で告訴します。

さすがにこれ以降、市長は「恫喝発言」に触れなくなります。


○ 武岡議員は「居眠りの原因が病気であったとする診断書」を提出しますが、市長は自らシュレッダーで裁断しておきながら「黒塗りの診断書しか見ていない」と虚偽ツイートをして、武岡議員を病気にまで追い込んでいきます。


○ 市長は、「副市長選任の再議」に反対した新田議員に、真偽不明の「市民から聞いた話」を根拠に執拗な攻撃を繰り返していきます。


○ 市長は、市長、副市長及び議長、副議長の4者会談において、議長に対して「国語能力のある者が出て来い」と暴言を吐き、以後市長と議会の関係が完全に断絶します。


○ こうした経過の中で、一部の議員は市長を支持し、議会の多数派は「清志会」を結成して、議会も市長への対応が分かれていきます。


○ こうして、市長と清志会の対立した構図が出来上がり今日に至るのです。