前回の通信で、「認定子ども園」基本構想策定委託料の削除を巡る顛末から、

市長の「自分に対する絶対的な優秀性と無謬性」への教条的で信仰的な思い込み 

が、保護者、市民や事業者を蔑ろにする行政手法に繋がっていることを指摘しました。



今回は、石丸市政の原点である「恫喝発言」から、市長石丸伸二の姿を見ていきます。



本会は、市長が平気ででっち上げた「恫喝発言」の経過を見て、これまで大きな疑問を感じてきました。



当初、市長は、誰の発言とも明示しないで、「議会の全員協議会の場で、複数の議員から恫喝された」とツイートしました。

そして、「恫喝発言」がネットやマスコミで大きな反響を呼ぶと、一転して、山根議員という個人名を挙げ、個人攻撃を始めました。

そして、山根議員は、「議会に逆らうと何もできなくなる」等々の発言までしたとでっち上げられていきます。



そこには、三つの疑問があります。


① 人がウソをつく場合、普通は「ばれない」ことに細心の注意を払います。

「ウソをついたことが分かる」と、非難をされ人間性まで疑われることが分かっているからです。



しかし、市長は、その場にいた議員の誰もが発言の一部始終を知っているにもかかわらず、「恫喝された」とウソをでっち上げました。

普通なら「すぐばれるウソ」ですから、こんなウソは絶対つきません。



しかし、市長は、「ばれる、ばれない」は関係なしに、平然とウソをでっち上げたのです。これがどうしても理解できません。


② 当時、山根議員はホームページでも市長に期待していたことが伺えますので、市長が山根議員を貶める原因があったとは思えません。

しかし、「恫喝発言」が大きな問題になると、市長は、突然山根議員の名前を挙げ、「恫喝発言」を具体化していきます。

当然、市長は、濡れ衣をかけた山根議員に会うたびに「顔が痛かった」はずです。



そこで、市長に「市議選に立候補した山根議員を落選させ、遠ざけたい」という思惑が出るのは当然でしょう。

山根議員に対して、ツイッターを使った執拗な攻撃を繰り返し、選挙妨害まで行います。

ところが、山根議員が再選されると、ネットやマスコミを使って、「恫喝発言」の徹底的な既成事実化を図っていきます。



なぜ、山根議員に濡れ衣を掛け、ここまで攻撃する必要があったのでしょうか。

自分のウソを隠すためなら何でもする。

市長には、罪悪感などないのでしょうか。


③ 市長の個人攻撃の特徴は、相手が身体的・精神的に疲弊しきっても、一切かまわず執拗に続くということです。

同じ市内に住んでいることも、議会で顔を会わせる立場であることも全く関係ありません。



市長の山根議員への攻撃は、裁判に訴えられるまで続きました。

武岡議員は、一時入院するまで追い込まれ、現在も体調が良いようには見えません。

異様で執拗なまでの個人攻撃に、「良心はどこにあるのか」と疑わざるを得ません。



本会が市民の皆さんに問いかけたいのは、「私たちの安芸高田市長として、市民を蔑ろにし、ウソをでっち上げる市長が信頼できるのか。安芸高田市を任せることができるのか」ということです。



市長の残りの任期も1年余りになり、次の市長選挙の話題が出てくる時期になりました。ともに考えて生きましょう。



[注]


議会は、恫喝発言を公式に否定しましたが、マスコミは「恫喝発言はあった」として報道を繰り返しました。



なお、「恫喝発言」があったとされる録音は、山根議員のホームページに公開されています。