石丸市長が、次のようにツイートしたことを、先日紹介しました。



ホテルのロビーで経営者らしき方が「政治家は金融政策と財政政策の違いもわかってない」と嘆いていたのを思い出しました。金融経済の理解なしに政策の議論はできないはずですが、そうでもない現実に危うさを覚えます。



後段の「そうでもない現実に危うさ」、これは何のことを言っているのでしょうか。

市長のこの間の言動を見ると、「議員を揶揄した」ものであることは明白です。

「安芸高田市の議員は、『金融経済の理解』も出来もしないのに、政策を議論してい
る。これは極めて危険なことだ」と言っているのです。

換言すれば、「金融経済がわからない安芸高田市の議員は、議員としての能力に問題があり、政策について議論するのはおこがましい」と言っているのです。



一方で、「自分は、日本でトップクラスの大学で経済学を学び、日本のトップ金融機関で働いてきた。自分の頭脳と経験はそこいらの議員(=市民)とは決定的に違う」という「強烈な自意識」があり、この自意識が「人を見下す傲慢さ」を生み出しています。

議会においても、議員を見下し小ばかにしたような答弁をしていますが、彼のこの「傲慢さ」に照らし合わせれば、当然の帰結なのです。



「本質は細部に宿る」と言いますが、この市長のツイートは、一見大きな問題もないと見過ごしがちですが、言葉の細部に彼の「傲慢」と言う本質が鮮やかに浮かび上がっています。



私たち安芸高田市民は、このような人間に市政を預けているのです。情けないとは思いませんか。



このような人間が、安芸高田市の市長で、安芸高田市を代表しているのです。恥ずかしいとは思いませんか。



「金融経済を理解した傲慢な」市長より、「人を思いやる豊かな人間性」を持った市長が求められているのではないでしょうか。