2017年3月

いろいろややこしいことあったけど

希望通り異動となった

オープンまでの準備室は、部活動みたいだった

楽しく準備、ユニフォームを決めたり

施設理念をみんなで意見を出し合って決めた

ユニフォームは、途中で変わったりしたけれど

理念は今でも毎朝三唱している



オープンを迎えた

3階建ての工務店のような建物(あたし好みじゃなかった笑笑)

1階が看多機、2階3階はグループホーム

まずは希望者のあったグループホームから

しばらくは3.4名が続きさほど大変でもなかったが

徐々に、困難ケースが増えて夜勤は難儀になっていった

それでもやはりやりがいはあった

オープニングスタッフが辞めてはまた新しく来てくださる方を繰り返し3階のみの営業だったが、2階も開けることとなり賑やかになってきた頃

いよいよ、看多機がオープンになった


様々なケースをみさせていただいた

お看取りも随分させていただいたなぁ


「その人がその人らしく」

理念には、この一文が含まれていた

あたしがどうしても入れたかったのだ


あたしはあたしらしく生きたい

それには、それを支えてくれる人達のいる場所が必要だと思っていたから

あなたは、あなたらしく生きていいのですと、言える場所をつくりたかったから


この7年くらいで、何人の方の旅立ちのお手伝いをさせていただいただろうか


自宅はすぐ傍なのに、願っても願ってもなかなか叶わなかった帰宅

亡くなる一週間前に叶うことになった


治療拒否をし、痛み止めも拒否し

ありのままの自分を受け入れる覚悟をされ

その時を待った方もいた


ギリギリまで自宅にて、野菜や花を愛で

先に逝かれた妻のもとへ旅立っていった方


「その人が、その人らしく」

と、いうことに対して

正解などないのだろうけれど

あたしは、たくさんの選択肢を持って向き合いたいと思いながら介護の仕事をしてきたつもりでいる

そういった場所があったらいいとずっと思っている

それは、今でも変わらない


例外なく、必ずやってくる最期の時

あたしがあたしらしくいられるかはわからないけれど

震災、コロナ禍

人生において、困難はいくらでもある

「その人がその人らしく」を

この数年間で、もっと強く願うようになった

会いたい人がいるならば、その思いが叶ううちに会いに行け

やりたいと思う事があるならば、気持ちが続く限り諦めるな


まだまだ見ていたかった介護の現場

だけど、年々故障が増えて

1年前かなぁ?

そのうちあたしが看てもらうよーだわぁ〜

と、目が覚めたように思い立った

6月の面接で、もお長くいるつもりがないことを管理者へ伝え

12月には、3月を目安に現場を離れることを本部へ伝え

時間をかけて退職を決めてきた

4月に入り、代表(社長)にお会いし

お世話になった元上司への挨拶も済ませた

スッカリすっきり(⁠θ⁠‿⁠θ⁠)


4月28日で実働を終え

今は有休公休消化中


心残りがないと言えば嘘になる

もっとやれることがあったとも思っている

でも、もーいーな(⁠・⁠∀⁠・⁠)

ほんとに

「これで、いいのだ!!」

と、思っている

次の仕事も決めていないのに

あたしは、あと数日で石垣島へ♪

全くふざけた人生だ

愉快、愉快(⁠*⁠´⁠ω⁠`⁠*⁠)


最終日、仕事で出逢った素敵な仲間が

お疲れさん会をしてくれた

しばらくお会いしていない方たちからメッセージをもらってきてくれて

それを桜咲く素敵なボードにしてプレゼントしてくれた


ほんとにほんとに

決して平坦な道のりではなかったけれど

振り返れば、楽しかったの一言だ

あれもこれもそれも

みーーーんな共に頑張っていた仲間のお陰様だった

サンキューでーーーーーーす


最終日の通勤路







ありがとーありがとー
楽しい22年間であった(⁠θ⁠‿⁠θ⁠)