全国ワースト県民 秋田人

格差のある社会は決して所得だけではありません。


目に見えないいろんな格差があります。


常に身近に感じることはありませんか?

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この世はゼロサムゲームなのか

久しぶりの更新になります。


去年のサブプライムローンの影響がどっさりと社会を

食いつぶしどん底に落としましたね。

案外、早くきたかなという思いです。


経済という科目を義務教育で教えていれば、

少なからず防御できた人も多いのではと感じます。


本当の資本主義の意味を学校で教えると

国の都合も企業や経営者にとっては都合も

悪いですから教えることは今後も日本ではないのかもしれません。

資本主義はパート・派遣がたくさん存在でき

初めて成り立つからです。

必ず誰かが犠牲になるという仕組みなのです。


そして雇用した人間を搾取しなければ

資本主義は成り立ちません。

この搾取される人間をいかに多く増やすか、

これがミソです。


小泉・元首相は規制を解除しさらに煽るように進行させ

このミソを作りあげました。

ここ最近の首相がこのミソを拭かなくてはいけないとは

本当に気の毒だなと感じます。


本当のA級戦犯は誰なのかわかっていても

退いた人間に何も言えないというこの現状。

全てがサブプライム問題だけで片付けられるものでも

なく、この問題の以前にしっかりお膳立てできていたので

都合よくすぐに解雇できたということです。


やはり10数年前の就職氷河期よりも

悪化しているのではないかと感じ

当時は私は学生でしたが、派遣の規制があり

社会には浸透せずに普及しておらず

「派遣」という言葉がないに等しい時代でした。

ましてや学生には皆無だったことです。


現代の労働形態は規制緩和して企業や会社が好きなように

作ることができ、パートと派遣が企業や会社の収益を出し

支えています。


今、正規雇用の方で派遣の方達が大量に解雇され

自分は助かったなどと思うのは本当の筋違いでしかなく

正規雇用のために犠牲になったということを理解しないといけません。

正規雇用の収入は派遣やパートの方たちが稼ぎ

自らの人件費を削ったものであり

正規雇用が自ら稼いだわけではないのです。

正規雇用の人件費ほど高い経費はなく会社にとっては

損失でしかありません。


資本主義というこの世はゼロサムゲームかというほど

酷を味わいます。


資本主義のエネルギーの源は国民が思う、

自分の立場は大丈夫だという安心感

自分じゃなくて良かったという安堵感

他に無関心であり社会状況に無関心なほど

加速していきます。













秋田県ジャーナリスト「むの たけじ」を斬る(その2)

それを証明するのは秋田県民は自然や景観の良い

観光地などには集まらずに、大型ショッピングセンターや

パチンコ店にしか集客していないという事実があります。



まさに他者との関係を絶つ場所ではないでしょうか?


このような状態はむのさんのいう東京と同じであると

言えるのではないでしょうか。


むのさんにとって秋田県は自分の故郷ですから

無意識に温かみを感じるはずであり愛着があるのは

当然のことです。

自分と縁のない東京や都心に愛着が沸くわけがないのは

当然なのです。

所詮、個人的な思いであるというこの程度のことだと思います。




事実、日本で一番人間が住居しているのは東京であり

常に地方各地から上京している人間は後を絶ちません。


現在の日本の人口の割合を示すと

日本人は10人に1人が東京人であるということも

忘れてはいけません。それだけ多いのではなく

増え続けているのです。



安住の場ではないと感じる方もいますが、

事実、日本という国にとって東京は安住の場であるのです。

これは否めません。




「定年後は田舎でゆったりライフ」というような

地方のためだけの移住宣伝文句が流行っていますが、

地方から上京して長年に渡り東京に住むと、

いくら貯蓄に余裕があっても晩年は故郷の田舎では

暮らしたいと思わないという現実なのです。




例え数人が田舎に移住してきたとしても、過去にさかのぼると

その何千倍・何万倍の人間がその地域を離れ

上京していったという現実が忘れてはいけません。

なぜ故郷を離れるのか?という疑問を感じないと

いけません。




昔は中学を卒業すると金の卵と呼ばれ

地方から嫌々、東京に集団就職していき

泣きながら列車に乗り込み親元を離れるという時代が

ありました。



しかしその方たちは子育てもすでに終わり

現在は東京で笑いながら安住の場として

幸せに暮らしているのが現状です。

お盆や正月に家族で帰省する時には不思議と

よくもこんな田舎で自分が育ったなと疑問にすら感じ、

決して故郷には戻りたくないといいます。

残念ながらこれが現状なのです。




上京した人間が全て定年後に故郷に戻ると東京の

人口は3分の一くらいに減るのではないでしょうか。

それどころか東京は現在、交通機関に

人口増の問題も抱えています。

なぜ戻らず住み続け増え続けるのか?

そこにははっきりとした理由があります。




社会とは表面だけではわかり得ることはできません。

このむのさんは長年、東京での濃い生活をしたことが

あるのかわかりませんが、ましてや日帰り程度で社会などは

語ることはできません。



実際にむのさんが語ることとは、人間も社会も逆に動いているのが

事実なのです。



私は秋田県に来て10数年経ちますが、わからないことも

まだまだありますが常に客観視をなくしてはいけないと

思っています。


地元の社会が正しい日本などと、そんなことは思うわけもなく

なぜこうなるのだろうと疑問に思わなくてはいけません。



私自身が感じたことはこの「むの たけじ」さんという方は

秋田県の現状と事実を無視して過去にさかのぼった空想論を

唱えているだけにすぎずに自分の昔の住みやすかった時代と

比べ過去にこだわり自分の良かったものが

全て公にも良いという個人の

選り好みの押し付けにしか私には感じません。













  


秋田県ジャーナリスト「むの たけじ」を斬る(その1)

秋田県横手市出身の「むの たけじ」さんというジャーナリスト

をされている方がいます。

昔は新聞社で仕事をされて事情により退職されてから

地元の秋田県横手市に帰省されたようです。


93歳の高齢ですが新聞でコラムを掲載されていたり

本を出版されて、現代を斬り秋田県の社会を語ったりしています。

県内の方であればご存知の方も多いかと思われます。


私は定期的にこのコラムを読むのを楽しみにしています。


しかし、この方は秋田県の社会・秋田県の人間というものを

客観的に観れていないのではと、コラムを読む度に毎回感じています。


たしかに93歳という長年の人生経験があり勝るものはなく

語ることには重みがあるように捉えてるかのように錯覚してしまう

のではないかと思います。


先日のコラムの記事が記者とのインタビューのやり取りを

載せてみます。

                 ↓


・記者 

 「少し前には東京まで日帰りで行ってきたようですね」



・むの たけじ

 「泊まろうと思ったけど、つまらなくて帰ってきた。

  東京は本当につまらないな。

  電車に乗るとみんな寝ているか、寝たふりをしているものな。

  寝たふりとは他者との関係を絶って自分で悩んでるんだべ。

  私にはかまわずにいてくれということ。

  自分の放棄でしょ。

  それと寝られないのよ、心安らがないから。

  都会は安住の場ではない。生き生きした面がねもの」


というようなほんの一部ですが、ネットでも「むの たけじ」と検索すると

関係したサイトがありコラムが読めます。


たしかに個人的な選り好みや趣味があるので何とも言えませんが、

地方出身の93歳の方が東京での文化や遊びなど合うわけもなく

車社会の方から見れば慣れないうちは電車社会には

拒絶反応を示すと思われます。


しかし逆に車社会にも他者との繋がりなど存在しません。

電車も車も移動手段でしかなく車社会の車の事故などは

他者に無関心さが起こすものでまさに自分勝手な運転手が

秋田県内には多く存在します。


そして秋田県の社会では生き生きした面があり

そして他者との繋がりを大切にしているでしょうか?

ここでいう他者とは自分の知っている人間ではなく

公の場で触れる人や社会で会う人間、すれ違う人間のことです。

秋田県民の方はどう感じますか?


例えを挙げるなら本当に他者との関係を大切にしていれば

金銭面以外の自殺率1位など私は起こりえないと思います。


他の地方もそうかもしれませんが秋田県は特に

自分の知っている人間以外は全く無関心であり無神経に扱うという

そんな社会ではないでしょうか。

秋田県の公共の場で人間の温度や温かみを感じるかといえば

全くそんなこともなく、そこで永住している人だけの空気であり

他者とは関係をまさに絶っていると私は感じます。

ましてや自分の地域の社会にも目もくれないという有様で

あります。


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