皆さんは南米にあるベネズエラという国をご存じでしょうか?

 

日本から遠く離れた国なので、名前しか知らないという方も多いと思います。

ベネズエラは以前紹介したレバノンと同じようにもともとは豊かな国でした。

 

しかし、今や世界最悪のハイパーインフレーションに見舞われています。

そのインフレ率は以前のレバノンをはるかにしのぐ268万%です。

 

お金を捨てる人やお金で折り紙をする人までいます。

また、治安も非常に悪いです。

 

強盗が相次ぎ、殺人発生率も日本の300倍近くに達しています。

アメリカの調査では数ある国を抑え、世界一危険な国に選ばれました。

 

現在多くのベネズエラ国民が海外へ難民としてベネズエラを後にしています。

ベネズエラから逃れた難民は300万人と言われ、これはベネズエラ国民の1割に相当します。

 

今回はなぜベネズエラが没落したのか?について解説していきます。

 

1、ベネズエラってどんな国?

 まずは、ベネズエラがどんな国か解説していきます。

 

ベネズエラは南米大陸の北に位置する国で、西にコロンビア、東にガイアナ、南にブラジルがあります。

また、北部はカリブ海に面しています。

 

面積は日本の2倍以上もある大きな国ですが、人口は日本の4分の1よりも少ないです。

そのため、自然が非常に残っている国で国土の40%近くが自然保護区に指定されています。

 

ベネズエラの主要産業は鉱業と観光です。

特に石油はすごく、サウジアラビアに次ぐ埋蔵量と言われています。

正式名称はベネズエラ・ボリバル共和国で、首都はカラカスです。(後に出てくるので、覚えていただけたらと思います。)

 

以上がざっくりとしたベネズエラの特徴です。

 

 

2、ベネズエラの光

 ベネズエラはかつて中南米で、いや世界でもトップクラスに豊かな国でした。

理由は石油。

ベネズエラは石油に恵まれた国であり、かつ石油の生産にいち早く成功した国でした。

当時のベネズエラは輸入額に比べて、輸出額がずば抜けて多い国でした。

 

特にオイルショックにより、石油の価格が高騰したときのベネズエラは「サウジ・ベネズエラ」と呼ばれるほどに潤っていました。

 

3、ベネズエラの失敗

 豊かだったベネズエラ。 それではいったいなぜベネズエラは転落してしまったのでしょうか?

それには、主に2つの理由が関係しています。

1つ目が石油に依存しすぎたこと、2つ目が政治の腐敗です。

 

3-1、ベネズエラと石油

それでは、まず1つ目の石油への依存について書いていきます。

ベネズエラは石油が発見されるまでは、コーヒーとカカオをメインに生産する農業の国でした。

 

しかし、1918年から石油の産出が始まり、1950年代にはアメリカ、ソ連に次ぐ世界第3位の石油産出国となりました。

1950年代当時は石油以外の産業も持っていたために、ベネズエラは安定して国が回っていました。

 

ですが、1970年代にオイル・ショックが起こります。

(※オイルショック・・1970年代に発生した原油の供給圧迫と原油価格の高騰に伴って起きた世界経済の混乱。)

 

今回はオイル・ショックの話ではないので詳細は割愛しますが、このオイルショックによりベネズエラは莫大な金を手にいれます。

石油で莫大な金が入るのなら、他の産業を頑張る必要はありません。

そこで、ベネズエラはあらゆるリソースを石油の輸出へ注ぎ込みました。

 

こうして、ベネズエラは石油に依存することとなります。

ちなみに、国が何か特定の少数の産業に依存することを地理の用語で「モノカルチャー経済」といいます。

 

モノカルチャー経済の問題点は依存している産業が打撃を受けたときに国全体が一気にピンチに陥ってしまうことです。

 

 

3-2、ベネズエラの政治

  ベネズエラは非常に資源に恵まれた国です。普通に政治がまともに機能していれば、今のような大混乱に陥ることはなかったでしょう。

 

しかし、ベネズエラは政治で失敗を続けた国でした。

まず、モノカルチャー経済の国に比較的多いのが貧富の差です。

例えば、石油産業に依存していたベネズエラの場合石油関連の仕事につけた人は富裕層になれましたが、それ以外の人は貧しいままになっていました。

 

豊かな人はどんどん豊かになり、貧しい人はどんどん貧しくなる。

ベネズエラの貧富の差は深刻な問題となっていました。

 

1979年2度目のオイル・ショックで石油価格が下落。GDPの90%以上を石油に依存していたベネズエラはピンチになりました。

そのとき負った負債は全く解消されることはありませんでした。

当時の大統領カルロス・ペレスは緊縮政策を実施し、これにより公共料金が上がり、1989年のカラカス暴動につながったといわれています。

 

そして、この暴動でペレスは引退し、1999年にこの暴動の中心だったウゴ・チャペスという人物が大統領へ就任します。

チャベスは、ベネズエラの現状を変えるためにあらゆる政策を打ち出します。

 

チャベスは社会主義を掲げました。

 

彼はとにかく格差を是正したかったのです。

社会主義にするため、チャベスは石油会社を国有化しました。

そして、石油の収入を格差の是正につなげたのです。

具体的には、スラムの解消、学校建設、医療費無料、職業訓練などです。

 

チャベスは反対派の言動を制限するなどの独裁色も強かったですが、一方で上の政策により今でも人気の高い大統領です。

 

いい面もあったのですが国有化したことで、石油会社の海外からの投資が途絶え、経営効率も低下し始めました。

 

また、彼は為替取引を禁止しました。

しかし、取引を禁止されても国を運営していくためには輸入もしなければなりません。

ベネズエラの貨幣はどんどん流出していくこととなった。

 

ベネズエラの通貨の需要はどんどん下がっていきました。

これにより、ベネズエラはインフレになっていきました。

しかし、同時に原油価格は減少し続けていたのです。

 

実は原油価格が減少した理由はベネズエラ自身だったのです。

皆さんはベネズエラの正式名称を覚えていますか?

「ベネズエラ・ボリバル共和国」です。 (一応国紹介にも書いてありましたぜ)

 

実はこの後ろのボリバルというのは、反米主義という意味です。

アメリカが嫌いだったのは、ベネズエラだけではありません。同じく産油国のアラブ諸国もそうでした。

彼らは、アメリカのシェールオイルが気に入りませんでした。

シェールオイルは石油の代替品として、注目されている資源です。

 

石油で稼いでいる国にとっては、そりゃあ面白くないですよね。

そこで、アメリカのシェールオイル会社をつぶそうと、原油価格を低くし続けたのでした。

 

結果として、アメリカのシェールオイル会社は潰れましたが、同時にベネズエラもどんどんと追い込まれることになりました。

 

ベネズエラも一度石油価格が高騰した2007年には好景気に湧きました。

ウゴ・チャベスはその時も貧困層に対する手厚い支援を行いました。加えて、貧困層でも食料品が無理なく買えるように価格を据え置きにするように命じました。

 

しかし、実はこれが転落の始まり始まりとなったのです。

まず、政府が設定した農作物の価格は低く、あまりにも儲からなかったため多くの農家や企業が農業分野から撤退することになりました。他の産業分野でも同様のことが起こりました。

 

この結果、ベネズエラは深刻な物不足に陥りました。

供給は減っても、需要は変わりません。ですので、ベネズエラは深刻なインフレになりました。

 

そして、結果として経済格差や治安の悪化などの問題を解決できないまま、ウゴ・チャベスはこの世を去りました。

 

3-3、マドゥロ政権

 その後チャベスの後を引き継いだのは、副大統領だったマドゥロです。

マドゥロはチャベス政権のいわゆるNo.2でした。なので、基本はチャベスと同じ政策を選びました。

 

つまり、チャベス時代の問題が全く解決されませんでした。

例えばマドゥロは再度価格固定を企業側へ命じました。

 

結果として、ベネズエラはより深刻な物不足に陥りました。

そして、もちろんインフレも加速することになりました。

 

ハイパーインフレと呼ばれる悪質なインフレーションが発生しました。

このハイパーインフレを静めるためには、外貨を稼いで自分の国の通貨の増刷を停止させるしかありません。

 

しかし、同時にベネズエラ原油生産が減少しました。

これは、ベネズエラの石油の輸出の減少を意味します

 

さらに悪いことは続く。

石油輸出を担っていた会社を国有化したことで、この会社は経験が全くない人だけで経営されることとなりました。

これにより、外貨獲得のための石油輸出の効率はさらに落ちてしまったのです。

 

現在もベネズエラはGDPの95%前後を石油に依存しています。

しかし、石油産業につく人は国民のごくわずか(0.5%)です。

 

国民の大部分が貧困層であり、治安も非常に悪くなっています。

警察自体も腐敗しているため、収拾がつかなくなっています。

 

ハイパーインフレとなったベネズエラで生活するのが困難になり、多くの人がベネズエラを離れています。

現在までにベネズエラ国民の1割以上にあたる400万人がベネズエラを離れたといわれています。

 

当のベネズエラは難民を認めておらず、周辺諸国が頭を抱えています。

 

 

 

 

 

お読みいただきありがとうございました。

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