今回は失敗国家ランキング超常連のソマリアについて解説していくぜ。

 

ソマリアは2008年から6年連続で失敗国家1位に君臨し続けた国だ。

なんてたって政府がない国だからだ。

 

 

ソマリアはもともと北部がイギリス、南部がイタリアの植民地であり、1960年に南北が統一し、

ソマリア共和国として独立した。

 

独立したソマリア共和国だが、初っ端から悪運が立ち込めることとなる。

 

ソマリアにいた民族同士で対立することとなった。

汚職も蔓延

 

その時に大統領が暗殺され、チャンスととらえた軍がクーデターを起こす。

モハメド・シアド・バーレをトップとする最高革命評議会が設立された。

 

そして、バーレは社会主義を目指し、名前もソマリア民主共和国に変更した。

 

これまでの縁故主義や汚職の撤廃を訴え、銀行の国有化、男女平等、中央集権化を進めていった。

 

しかし、部族ごとの事情を割と無視して進めていった結果、バーレの理想通りにはいかなかった。

 

失敗の影響でソマリア社会は大混乱した。

バーレ自身にも暗殺未遂など危害が及ぶこととなった。

 

このことで、バーレ自身も狂っていくこととなった。

ついにバーレは独裁に舵を切ることとなった。

 

1975年 自分の反対派を10名処刑

1976年に一党独裁化。

特定の部族の優遇政策を進めていった。

 

1977年にバーレが計画した大ソマリア主義の運動で隣接するエチオピアのオガデン地方で独立意志が強まり反乱。

オガデン地方は、ソマリアが支援しており、これに反発したエチオピアとの間で戦争が勃発。

 

そこに参加してきたのが、ソ連だった。

ただし、ソ連としてはエチオピアもソマリアもどっちも仲間であったため、なあなあの対応を取っていた。

 

しかし、それだと双方が納得せず、どちらにつくか迫られたソ連はエチオピアを選択した。

 

一方ソマリアは、アメリカやエジプトなどの親米アラブ諸国が支援することとなる。

つまり、冷戦の代理戦争のような形となってしまった。

 

ちなみに、エチオピア側についたキューバは、15000人の兵士が送られた。

この戦争は10年に及び、ソマリアは大打撃を受けた。

 

そして、戦争が終わったころに冷遇されてきた国民が団結して、バーレ政権への反抗を開始した。

こうして、ソマリア内戦が始まることとなった。

 

1991年には、敵対勢力が首都を制圧し、バーレはナイジェリアへ亡命することとなった。

そして、次の大統領にアリ・マフディ・ムハンマドが就任した。

 

しかし、これによりもともとイギリス領だった北部がソマリランドとして独立した。

一方首都がある南部でも大統領の賛成派と反対派で揉めることとなる。

結果として、内戦は再度激化することとなった。

 

そして、当時ソマリアを支援していた国連の支援物資を大統領の反対はが強奪することとなった。

補給経路を確保するために、国連は軍事介入を決定した。

 

これに対し、血気盛んな大統領反対派は国連に対して宣戦布告。

 

作戦を決行し、20人の犠牲者が出ることとなった。

 

しかも、派遣された米兵に対して見せしめ行為を行ったことを発信。

これによって、アメリカの世論が撤退論に傾き、アメリカはソマリアから撤退した。

 

止める人がいなくなったソマリアでは、内戦がさらに激化していくこととなった。

 

1998年にはソマリランドに続き、プントランドが独立を宣言した。

その後南西ソマリアも反発する形で独立を宣言した。

 

2004年に一度各派閥の話し合いがケニアで行われ、ソマリアの暫定政府が成立。

このことに、北部のソマリランドが反発。

 

ソマリランドはまだ比較的平和であり、経済も機能し、観光客も来るほどだった。

ちなみに、ソマリア旅行に行ったという場合99%ソマリランドへの観光である。

 

ごくまれに南西ソマリアへ観光する人もいるが。

 

 

2005年に今度はプントランドと南西ソマリアが連邦政府へ協力し、ソマリアの統一を目指した。

 

しかし、このときイスラム派が首都を制圧、アルカイダも介入などした。

はっきり言おう、ソマリアはもうすでにぐちゃぐちゃなのだ。

 

2012年 正式に政府が認められ、ソマリア連邦共和国となった。

 

ちなみに、ソマリアを有名にしたものに海賊が挙げられる。

ただし、現在は海賊はほぼ絶滅したものになっている。

 

ちなみに、なぜソマリアがよく出没することになったのか?

理由としては以下が挙げられる。

 

① ソマリアは情勢が不安定であったため、収入が不安定。そのため、一気に外貨が稼げる海賊行為は国民にとって魅力的。

② ソマリア沖は紅海の出入り口に近く、周辺の陸地は複雑となっている。そのため、海賊が隠れやすい。

③ 地形的に大型船はスピードを出しにくい。そのため、小回りの利く小型船なら、襲いやすい。(海賊は元漁師だった人も多く、船の扱いに慣れている。)

④ ヨーロッパとアジアを結ぶスエズ運河の出入り口で、ターゲットとなる船が多い。

⑤ タンカーも多い。(石油を運ぶ)

 

こうした様々な原因が重なって、海賊が栄えることとなった。

しかし近年撲滅運動が盛んとなり、海賊は激減した。

現在では、ほとんど消滅したと見られている。

 

②ソマリアへ行くには?

 基本的にソマリアへ旅行に行ってきたという場合は、ソマリランドとソマリア2つにわけて考える必要がある。

というわけで、2つの国への行き方を紹介する。

 

1、ソマリランド

  先ほど歴史でもちらっと出てきたが、あらためてソマリランドのおさらいをする。

ソマリランドはバーレ政権の崩壊後に、これまでの南部優遇への対立などから1991年に独立を宣言した。

その後、独自の法律や貨幣なども成立し、事実上ソマリアとは別の国となっている。

 

ソマリランドに住む住民もその多くが、ソマリランドとソマリアは別の国と認識している。

実際、通貨もパスポートも政治体制も違うわけだから無理もない。

 

さて、そんなソマリランドへ行くにはどうすればいいか?

まずは、観光ビザを取る。

 

観光ビザを取るためには、エチオピアなどにあるソマリランド領事館に行く必要がある。

エチオピアの首都アディスアベバまでは、バンコクや香港を経由して行くことになる。

ちなみに、エチオピアもビザが必要なので、頑張って取得しよう。

 

もう1つ観光ビザを取る方法は、ソマリランドのホテルへ依頼する方法だ。

 

さて、ビザを取ったらソマリランドへ入国しよう。

エチオピア航空で行く方法もあるが、ジブチやエチオピアから陸路で入る方法もある。

 

 

ようやくソマリランドへ入国すると、まず入国税として60ドル取られる。

よし、ソマリランドを観光しよう!といってもこれと言って観光地がない。

 

首都であるハルゲイサをふらふらとするというのが、観光客のすることだ。

ソマリア感が割と安全に楽しめるすごい場所なのだ。

実際ソマリランドへ潜入した旅行客もソマリランドをフラフラしている映像しか見たことがない。

 

まあでも、他の国だと首都をフラフラするだけで、再生回数を稼げる国なんてないので、その意味ではすごい国である。

 

2、ソマリア

次に紹介するのは、絶対にアカン国や「リアル 北斗の拳」と揶揄されるソマリア南部の方への観光である。

つまり、ヤバイ方のソマリアである。

 

まず、前提としてソマリアへ行くのはかなり難しい。

それではいつも通り観光ビザを取ろう。

 

ソマリアの観光ビザを取るためには、ソマリアに住んでいる人からの招待状が必要となる。

(噂だが中央アジアの北朝鮮と呼ばれるトルクメニスタンもそうである。)

基本は旅行代理店を通すのが、一般的。

そもそもソマリアは治安の問題もあり、個人でフラっと旅行に行くのが困難。

 

ビザは入国時に招待状を見せて、手数料を払えばゲットできる。

 

 

というわけで、次はフライトを用意することになる。

フライトはどうしても治安の関係からか少ない。

ちなみに、ジブチやエチオピアから行くのが割と一般的である。

 

さて、そんなこんなでソマリアのビザももらい、ソマリアへ無事入国できた!もつかの間。

ソマリアを旅行するときは必ず護衛をつけて、車に乗りながらの観光となる。

 

※個人で行けば、フラフラとモガディシュを歩くことも可能?らしい。

 

ちょっとホテルを抜け出す、少しおしゃべりしたい・・というのも難しいそうだ。

このあたりはなんとなく北朝鮮と似た感じがする。

 

ソマリアも観光スポットは少ない。そもそも観光客も少ない。

そんな中でもスポットはいくつかある

 

 

1、独立の記念碑

 ソマリア独立時の戦いで亡くなった人をいたむ記念碑。

ソマリアに来たら結構案内される場所である。

 

2、ソマリア平和公園

 平和公園という名の通りのちょっとした遊び場となっている。

日本人からすれば、少し大きめの公園程度の印象であろうが、ソマリアではここはオアシスのような場所だ。

 

3、モガディシュ灯台

 かつてモガディシュが栄えていたころのシンボル。

現在は廃墟とかしている。

 

・・まあ、あまり行くところはないらしい。