ざっくばらん秋日記 -7ページ目

ざっくばらん秋日記

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今日は4時くらいまで
友達が家に来てて

ファッションショーの曲決めをやってた


眠いっちゅうに

僕は八時間睡眠男なんで
大変でした


でも来てくれてThank you
いつのまにか寝ててごめんガーン

てか今からバイトで永田町
また大学戻ってサークル
大変だ


まぁやれることは要領よく全力でやろう


今までやりたいこと→やってみる→投げ出し
のサイクルだった

それじゃ何も生まれない

最近いろんなとこに顔を出していると

人脈が広がり
なんか嬉しい 自分の存在を実感できる
彼らのおかげで

その中で彼らに対して何ができるかなって考えたとき

関わりのなかで自分の一生懸命な姿を見せれたらいいのかな


僕自信まだまだ甘ちゃんだけど
僕の行動、行為が誰かのためになっている

手段はなんでもいい
だからこそ
やりたいこと→やってみる→完遂させる


ことが必要であると思う

バイトいってきます

アキヤマでした
今日はカフェマーケティングについて

楠本さんの話を聞いた

Cafeとは
Community Accese ForEveryone
の造語らしい


そもそも地域を活性化→人が集まる場を提供→町の食堂
というコンセプトで店を作った

現在の日本は多様化してきている
その中で情報の共有化を図る場所が欲しかった


その中で入り口でもなく部屋でもない縁側的な発想
つまり直接的なものではなく間接的に様々なことができる曖昧な場所を作った


そんな楠本さんの話を聞いて

Diversityという言葉
国際化の流れだけでなく
十人十色とでも言うのだろうか人はそれぞれ別々の考えをもっている

その中でより相手が求めているものを理解することが必要なのかもしれない

しかし理解するためにはコミュニケーションが必要なわけで
いろんな人と接する必要があると思う

そのための場を提供するという発想は凄い

それが地域の特徴を活かしたデザインをしているのも凄い

今まで自分は地域活性化をするためには政治家になり法案をつくり市民を幸せにしたいと考えていた

しかしもっとミクロの視点 つまりdetailが重要である

まずは草の根的にしていかないとダメであると気づいた

もっと人を見て何を求められているのかを考えよう

最近伊坂幸太郎にはまってます

アキヤマでした


最近臓器移植法のA案が成立しました

自主ゼミでそのことについて話し合ったんだけど

いろんな見方があるなって関心した


まず問題となったのが脳死=人間の死にするかについてだけど


まず脳死になっても爪とか伸びるし

生きてるみたいなんだって

昔カエルの実験で脳がなくても足がぴくって動くみたいな

ご臨終ですって医者が言ったとしても
たまに心電図が反応するときもある


だから心ってどこにあるのって聞かれたら

学術的には脳って言うかもしれない

だけど必ずしも脳とも言い切れないんだよね

現に体は生きているから

だから脳死=人間の死というのは間違いなのかもしれない


身体全体を含んで考えないと

また脳死の人をそのまま人工的に生かしておくのは人間ののエゴなのかもしれないってこと


家族が本人に対して生きて欲しいと願っていて

死んだら悲しいなんて エゴにしか思えない

本人が望んでるわけでもないし

人間って医療の進歩によって死生について軽薄になっている気がする


そりゃ戦時中みたいに死が身近にあるわけじゃないし



死生について考える機会がない


今回死生について考えるいい機会になった気がする

臓器移植法が正しいのかわからないが

より多くの人が救えるなら
実行したほうがいいと思う


何言いたいかわからなくなってすいません