周りの人達をみて思うことは

はっきり言って向上心がみえてこない

おそらく大人数で群れることで自分自身の不満とかをおぎなって

休日に遊びのイベントをつくることで平日のダルさを乗り切るみたいな発想

ドキッときた人は要注意

でも大多数の人がそんな感じ

でもそれって結局やっとること変わってない

楽しくない平日と群れてごまかす休日の繰り返し

これで高校が終わる、大学が終わる

そこから就職しても同じ

むしろ自由な時間が多い分、大学のがましてきなノリになるはず

多くの人がそんな感じになるのは

根本的に それしか道がないって思っとるから

そんなことないから道なんて無数やから

自分が知らないだけ

でも多くの人が知らないを理由にそこにとどまって一生をおくる

もったいないとは感じやんのかな?

と、俺は思うけど実際はその人たちからすればそれしか道がないって思っとるわけやから

もったいないとも感じず、しかたないで終わる

もしそんな風に感じてる人がおったらなにか新しいことを常にすること意識すればいいと思う

新しい経験をしまくればどっかで何か感じるモノがあるはず

新しい人に出会えば今までの自分の価値観が壊れて新しい世界が見えるはず

安定じゃなく変化、変化で!
いまの人達は理想のレベルを周りの人達に合わせる

なんでかって批判されたくないから

変に思われたくないから

俺がそう思ってきたからわかる

でも違うことに気付いた

理想を周りに合わせるなんてありえへん

高くていいわけ

たとえバカにされようとバカにしてくる奴らとか所詮、ただの平凡な人やろ?

そんな奴らにバカにされようがどうでもいいわけ

はっきりいってバイトの面接落ちる、就職の面接に落ちるなんてどうでもいいわけ

そんなことで自信なくさんくていいから

だってそのへんただのおっさんの評価なんていらんから(笑)

俺らが目指すべきものは自分を本当に評価してくれとる人達の評価なわけ

だからそのへんの平凡な奴らに変に思われるからって自分の理想を低くしちゃダメ

もったいないよ

自分の人生なんやから。
人はなにかしら誰かに自分が何者なのか表現したいっていう欲求がある

小さい子供が泣くとかもこれ

泣くことで自分はここにいるってアピールするわけ

本能的もってるわけ自己表現したいっていう欲求を

年齢を重ねるごとに一体なにで自己表現するかが大切になってくると思う

良い例が中学とか高校でいた不良系の人達

ちなみに俺の地元の友達は不良系が多い(笑)

中学、高校ってのは「勉強」をみんなにさせようとする

それができる奴らは勉強で自己表現ができる

でも勉強できやん奴は自己表現できやんわけ

そうなるとどこで自己表現するか

非行にはしったりすること

こうすることで世の中の人に自分をアピールするわけ

不良が悪いとは思わんけど

不良をつくりだすのは「勉強」が学生の自己表現だ ってしてる日本の教育にあるわけ

でも一歩踏み込んで考えると周りの人達が決めた価値観のなかでいなくてもいいわけ

周りの人達の価値観でいると「勉強iできないと自己表現できない」ってなる

そんなことどうでもいいわけ

そんなことどうでもいいって思えるならいちいち非行なんかにはしらんわけ

周りの人達の価値観でいるから

その価値観のなかで自己表現ができない

不満がたまる

何かで目立とうとする

それが非行につながる

ここで言いたいのは他人の価値観なんてどうでもいいってこと

周りの人達の価値観のなかで自己表現しようとせんでいいわけ

もっと自分自身の価値観のなかで自己表現すればいいわけ

周りにあわせるって考えるから不満がたまる息苦しい、、、

本当はそんなことどうでもいい。