「絵を観に行く」

若い頃、しばしば絵を観に美術館に足を運んだりしました。
ヴラマンクやカンディンスキー、レンブラント、ブリューゲルなどなど。

美術の教科書にのっていた「アレ」を目の当たりにできたことに興奮を覚えるのも束の間、割と感動は少なかったりします。

反面、不快なことは多いです。
一度などは鑑賞客のおばちゃんが杖でツンツンしていたのを目撃しました。
「運ぶだけでもダメージあるよね。さらにツンツンされて…」

私が観に行かなくとも、絵画はどんどん運ばれて、かなりのダメージを受けていく訳です。いろいろ思うことが重なって、なんとなく、美術展から足が遠のいてしまいました。

でも、現地でしか観られない絵画もあるわけです。
エル・グレコ作、『オルガス伯の埋葬』。
スペインはトレドのサント・トメ教会に設置されています。
同じく、グレコの『聖衣剥奪』。
トレド大聖堂の祭壇画です。

どちらも教会内に設置され、ある程度尊崇の対象となっており、
また、別の地に運ばれることもないので、ダメージは少ないと思いたい。
サント・トメ教会では、制服を来た警備員さえ配置されています。
しかし、この警備員がまた曲者でした。

私が見た時には、壁に寄りかかり、ポケットからピスタチオを取り出しては
ぽりぽりかじり、殻を床に捨てる始末。これ本当のことですよ。
でも、それがかの国のありようなので、何も申せません。

わが国でも、美術館に行くと、要所要所に館員が配置され、椅子に腰掛けて黙然としていたりします。
さすがにぽりぽりしていませんが、警備するにはか細い方であったり、質問してもほとんど答えられないので、何のために配置されているのかわからないです。
「何者なのだろう?」 未だに謎です。

絵を観に行くことから遠のいて久しいですが、上記のとおり、「嫌なことを見てしまう」ことが多いからだと思っています。
「少しづつストレスなんだよね」
飾られた絵と同様に、ダメージを受けて帰るのです。

「コンサートに行ったり、映画を観たりするのと同じように、楽しめたらいいのになぁ」

絵画を観ることは、本質的に他の鑑賞と異なるのかも知れません。
「それがなんなのかは分からない」ですが…。

では。